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14歳で海外移住した少女のきっかけ

はじめまして。学生Aです。

 今回はタイトルにある通り14歳の時家族と一緒に海外移住し二つの語学学校を終え現地公立のハイスクールに通っている、今度16になる私のお話をしていきたいと思います。今回は何故14歳で突然移住したのか。その経緯を記録します。

- 移住したきっかけ

移住の話が進み始めていたのは、今思えば私が幼稚園児またはそれよりも幼い時だったのかもしれません。私の父はIT関係の外資系の会社を転々としている技術者であり父自身高校2年3年の時にアメリカへ留学しそのまま興味の持ったジャーナリズムを学ぶため大学へ進みます。色々な事情があり卒業はせずそのまま日本へ帰国したそうですがその当時から父は自分の子供には自分がさせてもらった体験をさせてやりたい、と子供を海外留学に出すことが目標だったそう。

時は経ち父はIT技術者に誘われそれを仕事とし、母と出会い姉2人と私が誕生する訳ですが父は子供を留学させることと同じくらい大きな目標として自分自身が海外で働くことを夢に見ていました。酒にめっぽう弱い父は酔うたび母に海外で働いてみたいと話続けます。母が言うには結婚当初から、特に私が幼稚園に行っている頃父はよく母にその夢を語っていたそうです。

それからまた時が経った、私が小学6年、来年には中学生になる冬、母はとうとうブチギレました。父はただ夢見半分で語っていただけだったそうですが勢いだけは誰にも負けないうちの母。そんなに海外で働きたいなら行ってやろうじゃないかとばかりに計画を立て始めます。金銭的には恵まれており安定した父の収入や今までほとんど旅行にも行かない家庭だったのもありある程度の貯金、最終的には娘三人分の学資貯金もありました。そこからは移住先、学校そしてエージェントを探すこと約一年の次の冬、四つの候補の国からオーストラリアが選ばれエージェントには無理を行って三ヶ月で学校を探し知り合いも誰もいない土地へ、家族4人で旅立ちました。

そうです。4人で。私の家族は総勢5人。父と母そして1個上の姉と双子の姉と私です。お話した通りきちんと計画が始まったのは私が中学1年の時。姉は2年の時です。日本の中学3年生になると始まるのは受験勉強。姉は断固として中学3年に進級するのであれば高校も日本で行くと主張していましたので両親は約3ヶ月の間で全てを計画し実行直前まで持っていきましたがゴリ押しだけではできない唯一のもの。それは父のビジネスビザでした。会社は初の試みとして父の社内転勤を応援してくれましたがお役所はそうもいきません。父のビジネスビザを待っていると姉の進学が間に合わない。どうするか。始めてゴリ押し計画が行き詰まった時私の母は決断しました。私が先に行くと。一応書いておくと当時の母は本当に全く英語が話せませんでした。もちろん中学生の娘三人も揃って不得意教科は英語だったほどの語学能力。しかし他に方法はありません。父はちょうどオーストラリアへの出張があり一足先に渡豪、その後家を片付けたりなんだりした後娘3人分の学生ビザを取り母を保護者として私は人生で始めて飛行機に乗り日本を旅立ちました。もちろん父は短期の出張用のビザしか持っていないので程なくして日本へ帰国。女家族4人だけのオーストラリア生活がここから始まりました。

当時の話を父とした時、父は空港にすら無事に着いているのか心配で神にも祈る心地だったそうですが母は強し。しっかり羽田でとんかつを食べまるで電車で近場に出かけるかのような顔で飛行機に搭乗していました。もちろん母も不安でいっぱいだったでしょうがそれ以上に不安がっていた娘の前ではいつも通り、強くて優しい母でした。私はあの時の母の勇気と驚くほどの行動力は一生忘れないでしょう。

人生には多少の勢いは必要だと私の母はよく言います。父と出会って三ヶ月で結婚し今年で結婚18年目を迎える本当に仲睦まじい夫婦の両親。世界には10年付き合って3年で別れる夫婦もいるのに本当にすごいと思います。母が強く生きている秘訣はぶっ飛んだ行動力と勢いなのかもしれないと畏怖する私でした。

ここまで読んでいただいてありがとうございました。また次回更新できたら読んでもらえると嬉しいです。 #海外留学 #留学 #海外移住

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