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ES 10

<第二章 小さな町>

 ピーター・オヤシンが、件の女児強姦・殺害の容疑で逮捕され、そのことは同日中に町の全ての人間が知るところとなった。というのも、この町は『小さな町』なのだから、人の噂、まして今回のような州・全米規模で報道されるような大きな話題は、すぐさま住民同士で、嘘や真実、噂話も含めて、仔細に渡って共有される。しかしながら、この一見するとショッキングなニュースは、彼ら『小さな町』の住人たち ー の殆ど ー を強く驚かせるには至らなかったのである。むしろ『やっぱりな』といった感想を持つ住民が多かった。それは、逮捕されたピーター・オヤシンという男は、その『小さな町』では風変わりな人間として妙に知られていたからであり、また彼の風貌、雰囲気は、多くの住民から疎んじられていたのだ。

 ただしそれは、一人の例外 ー ピーターの妻である、ミタクエ・オヤシン ー を除いて、である。

 ミタクエ・オヤシンはその『小さな町』に住む、ネイティヴ・アメリカンの血を引く小柄な女性で、どちらかといえば地味めな顔、いつも毛玉だらけの同じセーターを着ているのが特徴的な、少し変わった雰囲気の女性であった。

 ミタクエは友人が少なく、人と喋るのをあまり好まず、没社交的な印象が強い人間である。しかしながら実は、詩や文学、映画に演劇などの芸術を愛する彼女は、ユーモアや含蓄に富んだ話をして人を関心させることも多少できる女性であった。彼女が人と話している時に時折見せる、強い意志を感じさせる眼差しはなんだか魅力的で、ただの平凡の女性と片付けられないような、人間的な魅力を(ほのかに)周囲に感じさせる存在でもあった。ミタクエはその事件が起こるまでピーターと慎ましく平凡で、それでありながら、充実した毎日を送っていた。

 ミタクエがピーターを心から愛していたように、ピーターもまた、ミタクエを愛していた。ピーターは生来強い吃音を持つ男で、また、人と話すスピードが遅かったので、町の皆んなからは度々『どんくさいヤツだ』と思われていた。しかし、ミタクエは知っていた。ピーターが吃るのは、彼がその状況、その瞬間において一番ふさわしい言葉を ー 彼なりのペースと気遣いをもって ー 誠実に選ぼうとしているからであり、そんな彼のやさしさを、彼女は自身の心を通して、知っていたのだ。そしてそんなミタクエの存在に、ピーターは心強さを感じていた。

 まだ若い二人が一緒に暮らすようになったのは、何も決して、二人が同じネイティヴ・アメリカンのルーツを持っていたから、という理由だけではない。二人はこの『小さな町』で生まれ育ち、学生時代に知り合った。どことなく風変わりで、周りになじめないところがある彼らは、度々周囲の人間と衝突したり、冷やかされながらも、絆という細い糸を互いにたぐり、紡ぎながら成長した。互いに支え合って生きてきたので、心と心がつながりあい、ふたりの魂は強く結ばれていたのだ。ゆえにミタクエは、この事件の話を初めて聞いたとき、驚きや疑いの念は全く起こらなかった。ピーターがこのような残虐な事件を起こすことなど絶対に起こり得ないと、魂の底から強く確信していたのである。何かの間違いである、と。

 だが、この町の住民にとって重要なポイントは、そこではない。つまり、その『小さな町』で生まれ育ったいたいけな少女は無残に殺され、その容疑のためにピーターという町の怪しい男が逮捕された、という事実だけでよかったのである。それ以上でも、それ以下でもない。ミタクエ・オヤシン以外の住民はその事実だけで十分であり、基本的に他人事として捉えていた。住民の誰もが、ピーターの逮捕によってこの事件は収束していくのだろうと想像していた。そして、事件が起こり数日が経っても、地味なミタクエの存在について住民は、気にも止めなかった。

 人々の思念は混ざり合い、濁りながら渦巻いていた。そして、その夏の日が訪れたのは『小さな町』でピーターが逮捕されて、一週間が経とうとしていた頃であった。


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