秋の休日
こんなに暑いのにあんなに空が高い。9月も終わりに近いのに、残暑が厳しい。
とはいえ、夏の殺人的な光線ではない。光は少し薄くなった。午後の日差しはすぐに傾き、長い影を伸ばす。
そんな秋の午後。夏の間はどこにも出かけたくなかったけれど、外に出ようかという気になった。日傘か帽子か迷ったけれど、日傘にしよう。
歩けば汗ばむ。やっぱり暑いなと思いながら空を見上げる。トンビが空を旋回している。高く低く。あんなに空高く飛んでいるのに下界を見て、目がくらんだり怖くなったりしないのだろうか。とつらつら考えていたが、人間の視点で考えていたことに気がつく。私が鳥になれないように、鳥は私になれない。だから、鳥の気持ちはわからない。わからないということを知ることが大切なような気がする。とはいえ、空を飛べるといいなとは思う。永遠の憧れ。自由の象徴。
久々に本が読みたくなった。本屋に入る。私は本がたくさんある所に行くと心が落ち着く。小さい頃から本は私にとって、世界と交流する手段だった。(今はスマホというおもちゃがあるので、そこまで本を読まなくなった。人間は楽な方に流れるものだ。)夏の暑い最中は本を読む気にはさらさらなれなかったのだが、秋に入ると不思議と本を読む気力がわいてくる。私はやっぱり紙の本が好きだ。気に入ったブックカバーや栞で読む本は、テンションが上がる。
ぱらぱらとページをめくる。内容もさることながら、文体にも自分に合う合わないがある。密かに思っていることなのだが、文は人となりを表す。どんなに隠しているつもりでも、滲み出てくるものだ。(それは、メールでもラインでもそうだ。)だから、私が書く文章も私というものが出ているのだろう。人は、私にどういう判断をくだしているのだろう。横柄であったり尊大でないことを祈りたい。それだったら、無能の方がましだ。無能なら、人は傷つけない。
心惹かれた文庫本を購入して、本屋に併設されたカフェで活字を追う。ストーリーに没入するのは楽しい。サッカー選手にも殺人鬼にも探偵にも剣豪にも恋人たちにもなれる。変幻自在だ。
目が疲れたら、窓の外を見る。日が落ちるのがはやい秋の午後。すでに外は茜色に染まっていた。
至福の秋の休日だ。