全員から好かれることは無理だと分かってはいても円満に過ごしたい
私はゴリゴリのHSP気質だ。
ずーっとずーーーっと生きづらさを感じて社会の中で生きてきた。
関わる人が多くなる程いらない気を遣いすぎてストレスは溜まっていく。
夜中にジャズを静かに流しながら、猫ちゃんがすやすや眠っているところを見る時間を何よりも大事にしたい。
農業を継ぐことは、大変な事だ。
でも、人とあまり関わらなくていいし、自然とずっと触れ合うことが出来る。
HSP気質にこれ程向いている職業はないのではないか?と今になって思う。
これまで都会で1人暮らしや会社の寮に入り、色々な職業を経験した。色んな事に興味があり、憧れの都会で楽しみたかったのだ。
パチ屋の社員、ホームヘルパー、障がい者施設の支援員、中居、飲食店の社員。
30代直前で東京オリンピック間近だった時は、オーストラリアに思い切ってワーホリに行き、帰国したら東京のホテルでバリバリ(笑)働くつもりでいた。
でも、ワーホリ中に父がうつに、祖母が認定症になり、田舎の実家が崩壊していることを知らされる。
祖母の認知症が進み、冷蔵庫の調味料を夜中に飲んだり、徘徊したりもあり、施設にも預けられずで母だけが大変な苦労をしていた。
この時のことが母を苦しめ、ズタボロだった。嫁イビリをしてきた祖母を看るのは本当に辛かっただろう、、何年かして祖母をやっと施設に入れたタイミングで父と離婚して、今は別の場所で暮らしている。
母にはお疲れ様でしたと声をかけ、代わりに父1人になったこの家に私が帰ってきたのだ。母が心配していた金銭面も、私が父から毎月受け取り、顔見がてら渡しに行くと決めたことで解決した。
もう誰かが傷ついたり悲しんだり怒号を浴びせているところを見なくてもいいと思った瞬間、こわばっていた私の肩がスッと軽くなった。
幸い私にはホームヘルパーや障がい者施設で働いていた経験があり、鬱症状、認知症の方との関わり方のコツを自分なりに知っているので快適に暮らすことが出来ている。私が父にとっては可愛い娘ということが一番大きいだろうが。
父の鬱は今となっては嘘のよう。一時的な事だったのかもしれない。
あの時いいことばかりではなかったけど、今、こうやって心地良く暮らすことが出来る。
全てが無駄ではない。
母の人生も、これから小さな事でも大きな幸せを感じる事ができるだろう。
母、父、祖母、昔から三人が三人、仲良くは過ごしてこなかったが、私を含めた4人の子供のことを思って共同生活を選択してくれていたのだろう。
全員が成人になった今、各々の人生をまた綺麗に咲かせてほしい。
多くは望まず円満に、穏やかに程よい距離感で暮らしていこうと思う。
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