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声掛け次第で「快」はつくられる!

「ゆっくり行けば大丈夫だからねー」

わたしは子どもたちに
飲み物を運んで貰うときに
こうやって声を掛けています。

ただし、
最初からこうだった訳では
なかったという話をしようと思います。

学びのきっかけ

私は放送大学を
2度卒業しました

保育園で働いているとき、
当時の勤務先の所長の後押しで
幼稚園教諭の免許を取るとなった時、

一番安価で取得出来る方法が
放送大学で
8単位取ることだったから。

大学での学びを
深めるキッカケは
このことでしたが、

2度も卒業するに至ったのは
おそらくコレだけではない
と思います

お散歩中に見つけた鳥の巣

実践出来る環境

最初は大学での
異業種異年齢の学友との学びが
面白かったということだけど、

私には学びを実践する
環境が偶然にもありました。

当時の私は
無認可園での初の担任!

かなりの
プレッシャーもありましたが、

クラスを持つことにより
自分なりの
色を加えることが出来るかも

と、ポジティブな話だけなら
良いのだけど…実は
差し迫った事情もあったのです

砂場の子どもたちってめちゃくちゃ面白い

もう一人の担任の休職

元々2人担任だったクラスだったが、
主担の子が妊娠し、
年度末を前にお休みが決定!

勿論、
配置換えもあったのですが、

直ぐという訳ではなかったので
発表会も前になり
急に一人で抱えることが増えました。

担任経験も2年目。
なのに
実習経験もなく初の一人担任

当時の私は
年齢だけ重ねて居たけど

誰に助けを求めて良いのか?
どう助けて貰いたいのかを
伝える術すら思いつきません。

この件は職員の方々や
特に当時の主任の協力で
乗り切ることができましたが、

正直言うと…
我が子とのすれ違いも
この辺りから強まっており、

無断外泊や
学校からの電話や
両親からの鳴り止まないLINE。。。

未だ夜勤をやって居た頃で
我が子との心の距離を
詰めることは後回しに…。

限界状態でした。。。

子どもたちと遊びに行ってた公園

遂に出てしまった
ドクターストップ

わすれもしないあの日!
流行病の流行る前でしたが、
勤務園でインフルエンザが流行

職員又は職員のご家族が
次々と罹患

病児保育も満帆状態でした。

そんな中、
全く発症のない私は
勤務の代替を引き受けがちに

自分ではイケる!と
思っていたのだけど、

健康診断では
要精密検査
の通達が…。

精密検査の結果

極めて白に近いグレイ

という結果でしたが、
「夜勤のある仕事は辞めといたら?」
…となり退社を決意するのでした。

あの頃、逃げ場が無かったなー。

問題点の自己分析

ココで自己分析をしてみたいと
思います。

★何故夜勤が続けられなかったのか?

要するに極めて白に近いグレイ
…ということは、
身体的には問題が無かった

つまり、
メンタル的な問題である
可能性が高い

☆同僚に任せられなかった

夜勤は2人組で行う為、
交代で休憩を
取ることが出来るのだか、

当時の私は
人前で眠ることが出来なかった。

勤め先が病院の敷地内だったこともあり
実は恐怖感があったこと
更には運動不足もあったと思う


★人に聞けば良かったのでは?

人に聞くと迷惑が掛かる
という思い込み

女性の感情が高ぶる時の
高い声がとても苦手で
議論を避けがちだったこと。

わからないことすら
わからないという
人生初の気付きと向き合うことに…。

幼少期から抱えていた
トラウマの問題

目の前に居るのは
叩いて来た人たちではないのに
潜在的な過去に支配されていた

☆問題点の伝達方法を考える術を
 殆ど知らなかったこと

当時の職場は
夜勤を理由に
退社することになってしまったが、

新たな職場では
心機一転!

これらの分析を元に

乗り越えられない壁は
立ちはだからない筈だ!

そう思って
気持ちを
奮い立たせることにしました。

子どもたちがくれた葉っぱの指輪

声掛けが変わる

心理学を応用してみよう

よし!一か八か!
子どもたちに
学んだ心理学を応用してみよう!

新しい現場では、
そう思う様になりました。

先ずは「信頼する」ことから。

元々、
子どもたちの潜在能力は
測り知れないとは思ってましたが、

それを完全に信頼してみよう!


決めました。

1年目は、
0歳児担当で
若い職員と2人体制

そして同室には、
同じく若い0歳児担任と
パートさんたちという環境。

よし!1から作って行こう!

そう思いました。

最初は不思議そうに観ていた
職員の方々やパートさん達。

少しずつ私のやり方を
応援してくださったのか、

のびのびと働いてくださっている
そんな風に見受けられました。

シッティング中、リズム遊びしてる私

変わりゆく子どもたち

子どもたちも
成長と共に
次々と変化して行きました。

先ずは
朝の会や帰りの会

「朝の会するよー」

という声を掛けず、

ただ私は絵本を持って
定位置で準備をしていると

自然と子どもたちが
集まって来ます。

職員が片付けをしていると
子どもたちが自然と
片付けはじめるのです。

そして、
ワクワクと定位置に座り出します。

中には他の子を呼びに行く子も
現れます。

全員が私の前に座り
静かになるまで
私は喋ることなく

絵本を持ち、
口元に人差し指を1本だけ立てて
静かに待っているだけです。

全員が座った瞬間から

朝の歌と挨拶を始め、
絵本を読み、
リズム遊びをします。

若い職員のチカラ

そのうち座る役割は
私以外の職員に変わります。

私が当時はピアノ係でしたから
(今はもう弾けない…けど。)

必然的にそうなる訳です。

この頃のメンバーとは
パートさん含め
割と連携取れて居たと思います。

若い職員たちも、
保育に対して希望に溢れていたし、

私も当時、
教育と心理を学びたての
放送大学生でもあったので、

彼、彼女たちが学んで来たことが
その当時の私が学んでいること
だったので、

実践の場を
作りやすかったし、

私たちは共に
「私たちの保育」として
作り上げることが出来ていました。

私の知らない
新しい歌を教えて貰えたり、

「先生?それってこーじゃね?」

とか、
学ぶというより
話し合える保育だったと

今でも自負しています!

河原で良く転がって遊んでましたw

言葉がけを学ぶ

私が若い職員との関係性を
良くして行けたのは、

高野登さんの著書
『リッツ・カールトン一瞬で心が通う「言葉がけ」の習慣』

この本との出会いも
大きかったと思います。

言葉がけ一つで
若い子たちが協力してくれたり、

お互いの苦手を
カバーし合えたりして、

こうしてみんなで
より良い保育の形を
模索出来て居たようにも思います。

年齢や性別や立場を超えて
アイスブレイキングしながら、

保育の仕事を楽しい!と
感じて欲しいとも思ってたし、

職員のその人らしさを
生かそうとして欲しかった。

そうして職員が楽しめてたら

その姿を
子どもたちも模倣し始めるという
好循環が起きるんです!

今は集団保育には
殆ど入ることはありませんが、

職員とではなく
おうちの方々との
チームビルディングだと思っています。

送迎が入れば
保育園の保育士さん達とも
連携出来るようにお話したりします。

それには、
話し掛けても良い雰囲気作り!

その最もは
日頃の声掛け(言葉がけ)次第
だと思っています。

苦手を「快」に替える

わたしの今のキャッチは、
「苦手を『快』に替えるベビーシッター」
です。

苦手だと思っている食べ物も、
調理法を変えたり、
大きさを変えれば食べられる

そんな子どもたちの姿を
沢山観て来ました。

最初は描くことを嫌がっていた子が、
最後には
絵を描いてプレゼントしてくれたり、

実は「苦手」という思い込みは
ほんの少しの工夫で
変わることが多々あります。

子どもおとなも、
何故それが苦手なのか?

何が起きて
不快と感じてしまったか?を
しっかりと分析すると、

その殆どが
声掛けで事象の印象を替えられると
わたしは思っています。

相手と向き合い、

苦手の中の「快」を
作り出す方法を
共に考えて行くこと。

そしてそれが
癖になり、

そうして乗り越えられた自分を
誇りに思って良いことがわかれば、

自己肯定感なんて言葉は
要らなくなるのではないでしょうか?

最初はそれが「苦手である」ことにすら
気が付けてなくて当たり前です。

不器用な私だからこそ
このことに気がつけた訳なので、

全てに感謝だなーと
改めて思っています。

長い文章読んでくださって
ありがとうございました!

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