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泣きたいときは泣けばいい

ときどき人は
自分の感情に
素直になれないことがある

それが
小さいときの経験からかもしれないし
ある日…何かが起こったからかもしれない

息子氏が小さいとき
私は息子氏が転んで怪我をしたとき

「大丈夫!大丈夫!」

と、

人前では
ついつい言っていたのではないかと
思う

今なら決して
言わないのだけれども

あの頃の自分を
とても後悔することがある

その「大丈夫!」が
彼の負の感情を
押さえ込んだのではないかと
思うから

私が保育士になって
そして
心理学を学んで
放課後デイサービスの世界に入って

その中で
偶然…研修で出逢ったのが
大河原美以先生だ!

この先生の考え方に出会えたことは
とても大きな財産だったと思う

それから私は
負の感情について
考えることになった

転んでしまったとき
膝を擦りむいたら
その足は痛いし、

なんで転んでしまったのだろう…と
自分の行動を後悔してしまう

そんな時、

自分の大切な人が
「平気!平気!大丈夫!」
って言ったら
混乱してしまう

「馬鹿じゃないの?」
って叱られたりしたら

転んでしまった自分を
責めるだけになってしまう

それが子どもの頃だったら
どうなんだろう?って
改めて考えさせられる

転んで怪我→痛い→悲しい

これが普通の感情だけれども

転んで怪我→大丈夫→笑う
転んで怪我→叱られる→自分が悪い→不快

この2つだと覚えて成長してしまったら
大人になってからも
転んでしまったらどうなるのだろう?

だからと言って
大人になってから
その感情を知り向き合うことが
出来ないとも思って居ない

今!気が付いたのなら
今!その心のモヤモヤの
蓋をそっと開けたっていいと思う!

・*:..。o○☼*゚・*:..。o○☼*゚・*:..。o○☼*゚

夜中に息子氏から連絡があった

滅多に自ら電話したりしない子が
連絡をくれた

友だちが自ら生命を絶った

そのやり場のない気持ちを
私に打ち明け
助けを求めて来た

その後同じ理由で
俳優さんが亡くなる事件が起き

同じような刃が
息子にも飛んで来ているようだった

こんな風潮で

何泣いてるの?しっかりしなさい!

と言うのは
果たして
正しいことなのだろうか?

違うような気がする

私は半分眠ボケながらも

悲しいね。辛いね。
良く見つめてあげてね。
泣いても良いんだからね。

こう言うことが精一杯だったけれど、

転んで泣いていた息子は
その後、その刃を、
避ける気持ちを
自らで育んでいた

・*:..。o○☼*゚・*:..。o○☼*゚・*:..。o○☼*゚

そもそも刃を向けてくる人々は
どうして
その刃を持ってしまったのだろう?

人が言われては嫌なことを
言ってしまったのだろう?

そこにフォーカスしてみると

もしかしたら…
負の感情を受け止めて貰える誰かを
捜していただけなのかもしれない。

優しい人は
強さを求められがちで
その優しさが故に
刃や火の粉が飛んで来てしまう

私の息子も
とても優しいだけに
その刃が
たまたま友人の死で弱っているときに
飛ばされる相手となってしまったのだろう

そんなときに
その刃から身を守る為に
そしてその刃を
誰かに投げてしまわないように
何が必要か…と考えたなら

私は
泣ける場所を持つことかもしれない
思った

感情にしてしまった蓋を
定期的に開けること

そして
安心安全な場所でなら
蓋を開けることが出来るってこと

子どもたち
私の大切な人たちにとって
私がそうあれますように…と
思うようになった

かと言って
それを受け止めてしまうのではなく

負の感情を
出して一緒に手放して行けばいい

そう思う

そして
それが出来る子どもたちが
沢山増える様になれば

もしかしたら
誤認識してしまったまま
育った大人たちからの刃を
飛ばすことすら
無意味に思えるように
なってくれるかもしれない

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子どもたちにも
大人たちにも
そして私自身にも

愛の花束を💐

Mahalo nui loa



「日本にクリエイターを増やしたい!!」 ★保育士しながら認定心理士資格取得★ パート→非正規→正規(無認可)→正規(認可) →フリーランス保育士・児童指導員 保育士時代に学んだ心理学を 子育てや保育、描画コンテンツに 生かし実践! 主体的で能動的な日本人を増やし続けてます♪