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まほう学園(第14期VRC学園の日記・前編)

この記事は連続している。前回の記事を上のリンクに埋め込んであるので、興味があれば読んで頂いても構わない。前回の記事に対して文章がやや固いとの指摘を受けたので、今回は若干軽めに書いた。ただし、どちらも読みづらくは無いと思う。

授業1日目

「希望とは地上の道のようなものである。もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。」言わずと知れた魯迅『故郷』の末文である。およそ数年前に日本語へと対応したVRChatは当然の如く荒野が広がっていた。そこへロマンを抱えた先駆者達が文化を開拓し、僕はその舗装された道の上を歩いている。理想のコミュニティを作り上げようと、遥か遠くにある希望へ向かって身を投じた講師による授業であった。

授業の一環で、コヨーテなるボードゲームに興じた。深澤は日常的にゲームを遊ばないので、コヨーテ自体は初耳である。よしんば全員がルールを知らなくても、やはり未知のものに触れるには勇気が必要だ。いざ説明を受けても理解しきれない箇所は多少なりともあったから、己の直感を信頼してゲームを進める。意外にも僕と同じようにルールを知らない人が多くいた為、ゲームを進める上でそれは一つの心の支えになった(それも授業のねらいだったのだろう)。

1回負けた。

放課後も流れでコードネームというゲームを遊ぶ。こちらは前述のコヨーテと異なり、クラスを半分に分けて勝敗を争うチーム戦である。ヒントを元にいくつか存在する語句の内から正解を選ぶのだが、これがなかなか難しい。「ウグイスは"肉"だろうか?」などと、仲間内での議論が白熱し、大いに盛り上がった。最終的に僕のチームは逆転され負けてしまったのだが、不思議と残念な想いといった内的な負の感情はほとんど無かった。確かに悔しくはあったけれど、入学式以外面識の無い人々と協力し合って一つのゴールへ向かう一体感は、それらの何よりも価値があって清々しく、爽やかなものだった。

授業2日目

「イッツ・ア・スモールワールド」というアトラクションがどこかの遊園地にあるように、極論を言ってしまえば現実世界の地球は地続きという意味で1つしか無いし、見上げる場所がどこであれ空は必ず繋がっている。それを思うと、逆に深澤は閉じ込められたような錯覚に陥って不安になることがある。もっと言うと、下宿先の賃貸がある住宅街と、いつか離れた地元、それを取り囲む自分のよく知る街。深澤には自分の世界がこれしか無いように思えてしまう。僕は地球から抜け出せないのだ、という囚われの身としての実感がかねてより存在していた。

撮影のあと、ビールを分けて頂いた。

聞くところによると、VRChatの世界(ワールド)の数は優に19万を軽く超えるらしい。お互いがそれぞれ独立して個々に存在しているから、ポータルを設置しない限り、現実世界のようにある場所からある場所へと道が連結されることはあまり無い。となると、美しい景色が見えるのにそこへ辿りつく道が無く、孤立したままの世界が数多く存在する。その探し方であったりの手法に触れたのが今回の授業であった。

顔が良い。

人伝に世界を紹介してもらうのも一つの方法である。講師の紹介によって辿りついた幾つかの世界はいずれも魅力的で、恐らく深澤の力では見つけられなかったであろう。夢を具現化した世界、コタツの中の世界、木々が根を張る鬱蒼とした世界。まるで魔法にかけられたかのように、深澤の目の前で世界が姿を変えてゆく。やはり相性もあるようで、「青天霹靂」に佇むびしょぬれのしずくさんはもはや一つの画として完成していた。

授業3日目

人は常に選択を迫られている。選択の繰り返しこそが人生であると主張する人だって少なくない。無意識のうちに人はその場その場で最適な判断を下しながら、生という荒波を上手く乗りこなしてゆく。深澤は第3回授業のテーマである「インプロ(即興劇)」について、授業を受ける前まではやや甘く見ている節があった。というのも、前述した通りに人生の大部分は即興で物事が進むし、起伏だとか始まりだとか終わりのある劇のようなものである、と考えていた為である。もっと言えば、人は誰だって二面性を有しているのが常であるから、舞台の上で紳士淑女を見事に演じる道化と同様であるという意味でもやはり劇と似ている。要するに僕は普段通りの事をすれば良い……そう考えていた。


どうやら人間という生物は不思議なもので、無意識を意識した途端に無意識が難しくなるようだ。即興劇をするにあたって与えられたテーマは特段理解に苦しむようなものでは無く、おじいちゃんと孫、入学式、ピカチュウ(あいにく僕はポケモンをプレイした事が一度も無い)など、いつかの時間どこかの場所で名前の知らない誰かが同じシチュエーションになるであろう、ごくありきたりな物だった。思うに深澤が本当におじいちゃんで新入生でピカチュウだったら、恙なく授業は終わっていた。僕はおじいちゃんである、と意識してしまったその瞬間、僕である深澤と、おじいちゃんである深澤の2種類の人格が生まれた。お互いが口調や身振りに相違があるものだから、それぞれが干渉し合って上手くどちらかに偏りきれない。いわば高さの違う竹馬に乗るような不安定さが劇中の深澤を囚えていた。僕が思うに3日目の授業はそれ以前の2つに比べてかなり歯ごたえがあって、学ぶ事も多かった。

ピンクは満点ということ

放課後は講師の方々の劇場を見学させて頂いた。実際に軽く即興劇を見てみようという流れになったのだが、これがまた上手い。即興であるから劇中にテーマが横槍に飛んでくる事もある訳で、それを見事に受け止めながらフィナーレへと持っていくその技術はいずれも魔法のように観客の目を奪っていった。

おまけ:タイトルの元ネタ


『ガールズレコグニション』所収の「まほう中学」より頂きました。涙を出す魔法が使える中学生のお話。むちゃくちゃ名作です。

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