深澤

かなり水を飲みます。

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最近の記事

VRCスクール卒業式『1FPSの世界から見た夢と記憶の交わりについて』

 卒業式は「終わり」としての側面が強い。人が死ぬ時は人生の全体が記憶の状態にあるように、「終わり」の式典に臨む僕たちは、入学から3週間分の記憶を抱えている。否、今この瞬間が知覚されている以上、全体が記憶の状態にあるとは言えないし、むしろ延長線上に広がる無限の未来を自由に予期することが出来る。であるならば、過去の終わりと未来の始まりは同列で、卒業式はある種「始まり」の式典であると言っても大袈裟な表現では無いのではなかろうか。  やがて僕がこれを考えるに至ったのは、実際に今が第

    • 放課後の過ごし方(第14期VRC学園の日記・中編)

      上京して僕1人であるはずの狭い部屋。ベッドに横たわると既に他6人がそこにいて、安らかな寝息が微かに僕の耳へ届いてくる。床に就く直前まで誰もいなかった筈の毛布に人肌ほどの温かさを錯覚して、意識と身体の所在に相違があることを確認する。その日は日中から授業が始まる22時にかけて身辺的で雑多な用事に追われていて、自然一日の終わりは全身に疲れが回っていた。微睡みから目を閉じると、瞼の裏では記憶のフィルムが回想として映し出されて、やがて意識は朧な乳白色の靄の中へと包まれていった。 私立

      • まほう学園(第14期VRC学園の日記・前編)

        この記事は連続している。前回の記事を上のリンクに埋め込んであるので、興味があれば読んで頂いても構わない。前回の記事に対して文章がやや固いとの指摘を受けたので、今回は若干軽めに書いた。ただし、どちらも読みづらくは無いと思う。 授業1日目 「希望とは地上の道のようなものである。もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。」言わずと知れた魯迅『故郷』の末文である。およそ数年前に日本語へと対応したVRChatは当然の如く荒野が広がっていた。そこへロマンを抱えた

        • 友達何人できるかな(第14期VRC学園の記録・入学式編)

          ぷかぷかと浮かぶ雲の隙間から陽光が幾筋もの線となって大地に降り注いでいる。道を挟んだ両脇には、木々の枝が隠れる程に満開の桜が恭しく列をなしていた。2月上旬に期限を迎える大学の期末課題を提出して一息ついたのが21時半であったから、恐らく今は22時に差し掛かる頃だろう。陽が差し込む深夜に咲く2月の桜を見上げる異常な状況に微塵として違和感を抱かなかったのは、もはや深澤の自意識がVR空間を1つの現実として受け入れている事実を意味していた。 徐に取り出した鏡で自分の姿を確認する。ベレ

        VRCスクール卒業式『1FPSの世界から見た夢と記憶の交わりについて』

          初がとまらない

          前回の記事からは一転、話題はVRChatへと飛躍する。 事の経緯は回を追って詳細に言及する予定であるが、世界への途方も無い抵抗としての目的は別に存在し、あくまでVRChatは深澤(人生ザウルス)が選択した手段としての道具にしか過ぎない。現状の説明は以上で充分であると考える。 VRChat初日の出来事 様々な仕事やゲーム等において、目的とするゴールに到達する為には使用する道具の事をよく理解しておく必要がある。深澤はその点VRChatもとい情報技術的な分野には全くの無知であ

          初がとまらない