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放課後の過ごし方(第14期VRC学園の日記・中編)

上京して僕1人であるはずの狭い部屋。ベッドに横たわると既に他6人がそこにいて、安らかな寝息が微かに僕の耳へ届いてくる。床に就く直前まで誰もいなかった筈の毛布に人肌ほどの温かさを錯覚して、意識と身体の所在に相違があることを確認する。その日は日中から授業が始まる22時にかけて身辺的で雑多な用事に追われていて、自然一日の終わりは全身に疲れが回っていた。微睡みから目を閉じると、瞼の裏では記憶のフィルムが回想として映し出されて、やがて意識は朧な乳白色の靄の中へと包まれていった。

私立VRC学園での毎日は概ね2パートに分かれていて、22時から45分程度の授業を受けたのち、放課後という謂わば自由時間のような交流の場がそれぞれ設けられている。放課後では、授業の延長線上で講師が補講を始めたり、生徒同士で教室を抜け出してホラーワールドやボードゲームに興ずるなど、時間の使い方はクラスによって様々だ。放課後の過ごし方は専ら生徒の自主性に委ねられているから、この時間の使い方によって6つあるクラスの個性が2週間の経過とともにじわじわと表出してくる。とはいえ協調性だとか謙虚だとかの単語があるように、強い個性がそれ即ち良いクラスである事の必要条件ではない。事実として、この日記を書くまで遂に2組を形容する妥当な単語が見つからずじまいであったが、総合的に調和の取れたクラスという観点では間違いなく他に引けを取らない。だからといって、行動がバラバラかと言えば限りなく肯定は不可能で、2組の放課後は「(ボード)ゲームからのSuRroomやメゾン荘などの室内で雑談」といった自然な流れが次第に出来つつあった。

身体に籠った熱が他者に伝わっている為であるかは不明だが、誰かが近くにいるだけで、ふとした時に温もりを感じる事があるのは人体の不思議だと思う。SuRroomやメゾン荘に集まった僕たちは、部屋のギミックをコミュニケーションの道具に用いて、お互いの思うがままに雑談を交えて放課後を過ごす。チョコレートフォンデュにエビを浸して食べさせてくる輩もいれば、木工用ボンドとウイスキーのデカンタを同時に口へ突っ込んできやがる不届者もいた。包丁で電話線を切ったり、寝室が事件現場に変貌したり、美味そうなすき焼きが見るも無惨な闇鍋へと姿を変えていた。

当然現実でこんな事をすると倫理的に良くないと咎められるのは誰しもが理解している暗黙の了解だ。

僕はふと、私立VRC学園へ応募した時のことを思い出す。漠然とした根拠のないものだけど、3.5倍程あった抽選には落ちる気はしなかった。当時の深澤は──そもそもVRChat歴がまだ1ヶ月程度とはいえ──狭いコミュニティで内輪ノリに興ずる時間の使い方がどうも性に合わなくて、もっと新しくて広い世界が見たかった。今も同じ考えが僕の根底にある。どうやら放課後の今この瞬間、不安感と安心感という決して相容れないアンビバレントな感情が、同時に僕へと流れ込でくるのが分かった。同級生と過ごす放課後の時間と空間は、僕に冷ややかな目線を向けてはいない。むしろ今までに感じた事のない類の温かさだ。やがて卒業式を迎えて散り散りとなるお互いは、もはや数あるフレンドの1人としてしか認識されないのだろうか。その疑念と前述の考えが衝突を起こして、不安感と安心感を生み出していたようだ。今まで気が付かなかったのが不思議なくらいだ。僕は広い世界との出会いを求める一方で、狭くても良いからどこかに場所も欲していたのかもしれない。至極当たり前のことに気が付くと、妙な温かみが僕の中に広がって、溶けた。人肌のように温かい。やや大袈裟な表現かもしれないが、吹けば消えてしまいそうな寄る辺ない確率を重ねて集まった僕たちが、インターネットを通して同じ時を同じ空間で過ごしているこの瞬間はもはや小さな奇跡のような物であるのかもしれない。中学や高校を卒業すると、集団よりも個々人が尊重されるようになって、人との繋がりが希薄になる。それが身体的に老いてゆく為なのか、年齢が精神に引き寄せられる為であるかはわからない。この「放課後」という今では非現実に等しくもなった経験が出来る機会と相手は、深澤の残りの人生で減りこそすれど、増える事は無いだろうという確信がある。ただ希少というだけでなく、人生のある時期を過ぎるともう滅多に起こらなくなるという意味ではやはりこの「放課後」は奇跡なのだろう。

長い、長い夢。目が覚めて身体を起こすと、既に部屋からは何人かがいなくなっていて、代わりに書き置きが残されていた。これもVRChatを始めてから知った文化の1つで、この世界にはV睡という独自の睡眠方法がある。ヘッドセットを被ったまま横になって眠りに落ちるという、前代未聞の──あえてその是非や所感についてはここでは書かない──文化である。V睡をしている人々が目覚めた際、目に入る位置に「おはよう」などと言った書き置きをフレンドの間で交わすようだ。

他愛のない会話をして、ヘッドセットの重さに耐えながら眠る2週間は確かに似たような日々だけど、毎日が少しずつ新しかった。チョコレートエビを食わされる事もあったし、木工用ボンドを飲まされる事もあった。その日の朝、僕は「今日はきっと包丁で電話線が切られる。」と知らなかった。明日が分からないということ、昨日と今日、今日と明日が違うということはむしろ当然の事であって、新しくて広い世界はわざわざ探さずとも、もっと近くにあった。新しい一日が始まる。

上家がめっちゃ鳴いてた

おまけ


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