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冷房の効きづらい部屋で、私が見つけた本当の自分。

私は、昔からずっとマイノリティだった。

先日、新宿の創作料理屋さんで、元同僚と音楽家と3人で飲んでいた。
手にとったササミジャーキー(これ、めっちゃ美味しかった)を口の中に入れると、
私の前に座っていた元同僚が「じゃあ、こういうことですね!」と言って、自分の箸の片方を持ち上げた。
この線の右側が芸術を極めた人、左側がビジネスを極めた人。
どちらもプロフェッショナルだけど、ビジネスを極めた人は最終的にアートに憧れ、芸術を極めた人はビジネスの世界に憧れる!

話の経緯や根拠はともかく、なんかそんな話になった。
私は獺祭(山口の地酒)を飲みながら、
「じゃあさ(勢い余ってタメ口)、この間にいる人は幸せなのかな?」と箸の真ん中を指差した。
この時、自分で言っておきながら、なんだかすごくザワザワした。
複雑な気持ちに襲われて、一瞬思考が停止した。
なぜなら、その”間にいる人”は、私のことだったからだ。

ずっと真ん中に居た

ずっと白黒つけ難い人生だった。
何かに振り切れず、いつも、70点くらいの出来を色んな分野でこなしていた。きっと器用だったんだろう。

勉強もそこそこできるし、音楽もできた(クラスであの人ピアノ上手いよね〜みたいな位置付け)。
割と色んなタイプの人と話すし、先生にもまぁ好かれてた。
授業中に意見も言えるし、空気を読んでそっとしておくこともできた。

社会が何を求めてるか、子供ながらに気づいていたのかもしれない。
だから、別に意識していた訳ではないけど、好きな音楽と評価される勉強をどちらもある程度こなしていた。
将来はちゃんと稼ぎたかったし、良い大学にも行きたかったし、カッコいいキャリアウーマンに憧れたし、ちゃんと結婚して子供も欲しかった。
そうして人並みに素晴らしい人生を送りたいと思っていた。送れると思っていた。

ーーー

実は小学3年生の頃、ピティナ・ピアノ・コンペティションというピアノのコンクールの全国大会で優勝した。その頃、親にピアニストになりたいと打ち明けたことがあった。
中学校の音楽教員だった母親は、安易に賛成も反対もせず、小学3年生の私に対して、音楽で稼ぐことの大変さ、音楽業界の厳しさを教えてくれた。1人の人間として、時間をとって丁寧に説明してくれた。
大人になった今思うと、あの時人としてちゃんと向き合ってくれた親はさすがだったなぁと思う。
ただ、私はその頃から”音楽は趣味だ”と言うようになった。
次の年から、ピアノのコンクールに出続けながら、中学受験の勉強も開始した。何だかよくわからなかったけど、どちらかだけを選択するということができなかった。

だけど、もちろん音楽が好きだった。もし音楽が、医学部や法学部みたいに、世間の羨む職業、社会でも肯定的な職業、稼げる職業だったら、迷わずプロを目指しただろう。
でも音楽は違ったのだ。私はそれを知って、"音楽は趣味だ"と言うようになった。

ずっと真ん中に居た。

「ゆかは何でもできるよね」。この言葉の裏に、私はずっとマイノリティさを感じていたのだと思う。
いつも、私の本当に好きなこと、やりたいこと、大切にしたいことは、社会のマジョリティ部分から外れてしまう。そんな感覚だった。

だから、必死で勉強した。だから、良い学校に進学した。だから、彼氏とデートもした。だから、ちゃんと就職した。だから、ちゃんと…
はたから見たら、ちゃんとマジョリティに属していたと思う。キラキラして見えてたと思う。
別に大変じゃなかった。結果を出すのも得意だった。それがみんなの普通であり、私の普通だったから。

だけど、ずっと何かにブレーキがかかっていた。

ブレーキの正体

それに気づいたのは、新卒で就職して1年半くらい経った時だった。その頃、彼氏との同棲を解消して、寂しさ紛れにシェアハウスに引っ越していた(笑)。
仕事も国籍も境遇もバラバラだけど、悩んだ時はいつも誰かがお酒を持ってきてくれた。
寂しい時は鍋を囲んだり、一緒に映画を見てくれる、そんな温かい人たちだった。まさに、友達以上、家族未満、そんな関係だった。

「もしかしたら、私、ちょっと今の仕事合わないかもしれない。」

夏のド真ん中、冷房が効きづらいシェアメイトの部屋で、ぽろっと本音が出てしまった。
仕事はすごく順調だった。楽しかった。充実していた。向いてるなと思っていた。
でも、何だかきつい。全く意識もなく、そんな言葉がこぼれ落ちた。

「もしさ。今、何のしがらみも無かったらさ。お金、地位、周りの反応、んーあとなんだろうな、将来のこととか?もう全部なかったら、今何したいの?」
シェアメイトは部屋着に着替えて、私の前で体育座りした。
答えに戸惑った。分かんない。何がしたいんだろう。というか、これを言っても良いのだろうか。言葉にするのが怖い。

「… 音楽がしたい…のかも…. 。」

「音楽に触れたい…。音楽の世界に戻りたい。なんか… 何でも良いから音楽がしたいのかもしれない。」
気づけば、ポロポロと涙が流れていた。分かんないけど「音楽がしたい」って話していた。
シェアメイトは全く動じず、ティッシュをスッと取って、渡してくれた。
「うん。ゆかは、きっと、音楽がしたいんだよ。みんな気付いているよ。音楽でしょ。やってみれば?やったもん勝ちだよ。」

やったもん勝ち。みんな気付いていた。私だけ、私のやりたいことに気付いていなかった。
言葉にした途端、自分で自分にずっとブレーキをかけていたことに気付いた。

私はベートーヴェンじゃないのだけど

今、私はジャズを勉強している。
2年ぶりくらいに音楽を再開して、新しくジャズを勉強し始めた。楽しい。音楽に触れているだけで、なんかもう楽しい。
楽器を久々に掃除して、ゴリゴリ練習してる感じ、めちゃくちゃ懐かしい。よい。

「なんか、急にスイッチが入ったね〜。」シェアメイトたちが口を揃えて言う。

そういえば、ベートーヴェンは、音楽家でありながら、途中で耳が聞こえなくなった。有名な話だ。
でも驚くことに、耳が聞こえなくなってからも、曲を書き続けた。それでいて超大作まで残している。恐ろしすぎる。
きっと、ベートーヴェンの人生は、音楽しかなかったのかもしれない。冒頭の話でいう「箸の右側」だ。
不器用だったのかもしれない。コミュニケーションも苦手だったらしく、音楽を取ると、彼には何も残らなかったのかもしれない。(ベートーヴェン様、ごめん、、、)

私はベートーヴェンではない。
音楽を取り除いても、求められる場所は作れるだろう。今まで色んな経験をして、また新しい場所で、何かを始めることもできるだろう。音楽がなくても、それなりに成功した人生を歩めるだろう。

だけど、私は音楽を選びたい。
どんなに難しくても、今のスキルじゃ全然足りなくても、それでも音楽に触れていたい。

今、私はジャズを勉強している。
もしかしたら、これから行こうとしている場所は、社会のマジョリティから外れているかもしれない。
別にそれでもいい。
自分の足で堂々と立ったまま、この私のまま、ただ音楽をやっていたい。

そう思いながら、新宿の創作料理屋さんを出て、いつも以上にゆっくり帰路についた。
もうすでに、あのササミジャーキーの味が恋しくなっている。


Yuka Kawabata
https://yukakawabata.fanpla.jp/

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