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女性の隣をイメージすることで性愛候補になれる

「モテたい」って誰に? モテることは無意味

「モテたい」と私たちはつい口走る。誰しも多くの異性からアプローチされることは生物として最上級の悦びだろう。
だが、手当たり次第に異性からモテたらよいのだろうか?またそれは可能だろうか?
私たちには時間の限りがあり、自身の性的ポテンシャルにも限りがある。あまり興味が湧かない異性からアプローチされたとしても、許容範囲は決まっているのだから、さして意味を持たない。
であるならば、限られたリソース(ポテンツ、時間)を上質にそして存分に活かしたい。そのために「誰にモテたいか」をより戦略的に考える必要がある。
「モテたい」とフワフワと抽象的な状態に囚われるのではなく、「どのような異性にモテたいのか」「そのために自分はどうなっていればよいのか」まで具体性を持って掘り下げることで初めて一歩を踏み出せる。

女性の隣を想像し、自身とのギャップを考える

ある程度モテたい異性のイメージを形作れたら、次は「その人の隣にはどのような人が歩いているか」を想像してみてほしい。多くの人は理想とする女性を憧れているばかりでこの単純なことをしない。
長身のモデルのような体型でハイブランドを身にまとった派手な女性であれば、どうか?

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かわいらしい外見、カジュアルな服装の素朴な女性であれば、どうか?

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とても明るいお喋りな人では...?1人カフェで読書をしている人では...?

ここで冒頭の「(手当たり次第に)モテたい」がいかに現実と乖離しているか気づける。
騒ぐのが大好きなイケイケの女の子と1人で現代アートの個展に来る女性の隣は同一人物ではないはずだ。あなたの特性(キャラクター)の振り幅では全ての女性には適応できないし、悲しいが求められてもいない。あらゆる人にモテるにはすべての女性に対応した人(キャラ)にならなければならないのだ。

・みんなにモテるのは非生産的であり、非現実的である
→ 限りある時間、性的ポテンツそして自身のキャラクターがあるから

自身のキャラから実現可能な理想像を目指す

現実に立ち返って考える。
自分のキャラクターの振り幅から対応でき、隣を歩くギャップを埋めることができる女性をターゲットにするべきだ。逆を言えば、隣のイメージと現実とかけ離れていたのなら、諦めるのが賢明である。成就しないことを快楽とするマゾなら別だが、私たちは限られたリソースで上質な快楽を得たいのである。ただ自分を確立できていないのなら、タイプの女性にマッチする人物像を形成するための熱量と時間をかけてもいいかもしれない。

「Pretty woman」という映画をご存知か?
ここでは娼婦であるジュリアロバーツが素敵な女性としてのマナーや身だしなみを学び、実業家であるリチャードギアの隣に追いついたストーリーである。これほど大きなギャップは現実では実現不可能ではあるが、ジュリアロバーツの変貌ぶり、リチャードギアのダンディーさから学べることは多いのではないか。

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左の写真はどこか違和感を感じるが、右では見事にお互いがマッチしている。
どこか違和感を感じるカップルに長続きする例はない。どうにか妥協点を探しながら歩み寄るか破綻するしかないのだ。
タイプの女性の隣を想像し、自身のキャラクターと照らし合わせ、見通しが立てば、その像と自身のギャップを埋める作業に集中するだけでいい。

もっと楽に考えてみよう。
街に出向き、女性のパートナーを想像してみる。「この人素敵だな」と思ったら、その隣を想像し、自分とのギャップを分析してみる。すると、世界は残酷だが可能性に溢れて見えるのではないだろうか。

私は変態です。変態であるがゆえ偏っています。偏っているため、あなたに不快な思いをさせるかもしれません。しかし、人は誰しも偏りを持っています。すると、あなたも変態と言えます。みんなが変態であると変態ではない人のみが変態となります。そう変態など存在しないのです。