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極論な気もするけど

すきなものを否定されるのは、悲しいものがある。

わたしはプロ野球球団の読売巨人軍が小学生のころからすきだ。でも、ジャイアンツにはアンチが多い。らしい。

最近、同級生との会話でスポーツの話になり、わたしがジャイアンツがすきで応援していると言ったら「おれ、巨人きらいなんだよね」と笑顔で言われたことが衝撃だった。

ひとがすきと言ったものを、2秒後にしかも本人の目の前で否定するひとがいると思わなかった。

すごく嫌だったけど、話の流れを読んで、取り敢えず「〇〇くんはすきな球団あるの」と聞いたらパ・リーグの球団を言われたので「リーグ違うじゃん」と笑って野球の話はやめにした。


わたしは悲しかった。

小学生のころ、父と一緒に2008年の北京五輪で日本女子ソフトボールチームが優勝したのをテレビで観た。野球もソフトボールもルールがわかっていなかったが、父が大喜びしているのを見て興味を持ち、その後一緒に野球観戦に付き合うようになった。

父は幼いころの写真でジャイアンツの帽子をかぶっているくらい、根っからの巨人ファンだった。母はあまり巨人のことがすきではないようだったけれど、我が家は亭主関白なので何も言わずにいた。

わたしは巨人戦を見るうちに自分のお気に入りの選手を見つけて、一度だけファンフェスタにも連れて行ってもらって応援のタオルも買ってもらった。
今シーズンは数年ぶりに巨人の応援をはじめ、開幕戦からテレビで観れる試合はすべて観ている。
先日GW帰省した際には、もちろん父とテレビ観戦した。

応援歌は歌詞がわからないので歌えない。タオルの選手も、もうずっと前に引退してしまった。実際の野球観戦には行ったことがない。

それでも、すきだと言える球団なのだ。いま応援したいと思える選手も数人いて、今後見ていきたいと思う存在なのだ。


別に、各々理由があるのだろうし巨人がきらいだって構わないけれど、わたしとお父さんの思い出が詰まったものを否定されたのは悲しかった。訳知り顔で解説を入れてくる人も苦手だけれど、わたしのことを傷つけたとも思わず平気で笑顔でいられる人はもっと関わりたくないと思ってしまった。

わたしはそういう時よく「わかりあえないね」という言葉を使う。わたしはわたし、あなたはあなたという意味を込めて、使う。わかりあいたくないわけではないけれど、話してもどうせ埒が明かないと思っているものに対してはバッサリ言う方がお互いが楽だと思っている。

すきなものを伝えてくれるのは一向にかまわない。わたしがそれをすきになるかは置いておいて、たぶんわたしは「あ、そうなんだ」とか「いいね」とか、心がこもっていないなりにそつなく返答すると思う。でも、それでいいんじゃないかなあ…。

確かにいまなかなか勝ててないし、わたしのすきな投手になかなか勝ちがつくような点数を入れられていないし、すきな野手もここぞというときに打てず苦しんでいて、応援が届いていない気がすることも何度もあるけれど、いらいらしたりもするけれど、わたしはやっぱりジャイアンツがすきで、明日もすきで、負けても勝っても結局応援する対象なのだ。

わたしは絶対にだれかのすきなものを否定したくないし、ひとに優しい人でありたいと思う。



ところで、何かを人生の目標だったり、価値観の上位に据えて生きていたり、そういうのはまったく自由だと思うし、否定したくないけれど、苦手な人はまだいる。

ここで苦手な人として例に出すのは、友だちのMBTI診断の結果ををiPhoneのメモ帳に記録しておいて、収集している人だ。

半年ほど前、友人に、MBTI診断をやってみてくれと言われ、結果を伝えたら「〇〇ちゃんと一緒だね!」と言われ、驚いた。自分がどういう人間なのか気になるのは、心理テストや占いが人気なのでよくわかる。わたしも話題作りに心理テストをするのは、神経をすり減らしながらもわりとすきだった。

それでも、MBTIだけで誰かと一緒と括られたくない。名前を出されてしまった人も、わたしと一緒と括られたくないだろうと思った。

わたしは自分のことがだいすきな一方で、自分の行動を肯定してあげようと無理やり信じようとするひとだと思っている。自分の目標のために、いまの自分を犠牲にして将来に希望を持とうとしている部分があるが、きっと将来のわたしは許してくれると信じている。そのために日記を書いている部分もある。

わたしとはこういうものです、と自ら提示してもらうのはウェルカムだ。自己紹介として聞いている分にはおもしろい。

でも、わたし自身を括らないでほしい。

わたしはこの「わたし」として現実世界に存在しており、日々寝起きして、毎日を生きている。わたしにはわたしにしかないような経験を数多くしてきて、それが今日までのわたしをつくってきていると確信している。

世の中の人はみな、わたしとはまったく違う人生を生きて、いろんな考えを持っていて、だからこそわたしが想像もできないような豊かな考えを持っていたり、複雑でパワフルな人生を送ってらっしゃるのに、それをいくつかに分けようだなんて、それには無茶があるんじゃないのかと思っている。


めちゃくちゃ横暴な論をふりかざしてしまいました。
ごめんなさい。

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