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気持ちの表し方
1-2週間前にもYahoo!ニュースでちらっと記事になっていたものが、本日のお昼のトップにも新しい文面で記事になっていたので、今日も興味深く読みました。
お題は、「マルハラ」について。
本日のYahoo!ニュースのトップにあった記事はこちら。
そして、以前わたしが読んだものはこちら。
そもそも、「マルハラ」という言葉すらわたしには物珍しく、そんな傾向がいまの世の中にあるとは知りませんでした。
しかし、思い返してみれば、わたしはLINEの文面でよく「。」を使っており、それについて友人から指摘されたことがあります。
「つぐみちゃんって、よく『。』使うよね」って。
でもそれは、部活の業務内容についての連絡事項だったり、部活全体へ向けたわたしのオリジナルな言葉だったりで、あくまでも個人的な内容というよりは、多数へ向けた文章だったので、「。」を付けるのはむしろ当たり前だという感情でした。
確かに、同級生たちは、同じく多数へ向けた言葉であっても、「。」を付けないまま改行したり、絵文字を入れたり、「!」で文を締めることが多いかもしれなかった。「、、、」といった、「、」で終える人もいる。
わたしももちろん、「!」は多用するけれど、わたしほど「。」を使っている同級生は今のところあまり見かけないかもしれない…。
今回、「マルハラ」という言葉を耳にして、わたしの周りにいてくれる人たちは、そんなわたしに対してストレスを感じていたのか?という気持ちになりました。
それは考えても答えが出ないけれど、少なくともわたしは今後も不特定多数に向けた文章や、自分の気持ちを「!」以外で表したいときには「。」を用いると思います。
だって、そう習ってきたから。さらに、「。」で終えることは結果として文章を読みやすくする術だと思うから。
まんがやSNS(チャット)の普及からだとか、考察していただいて全く構わないけれど、「。」を積極的にいる20代もこうしてここにいる中で、「。」の良さそのものを否定する風潮になってほしくはないなと心から思います。
わたしはX(ツイッター)のアカウントを持っていないので、実際拝見したわけではないのですが、俵万智さんのツイートが話題になっているようで、ほっこりしました。
句点を打つのも、おばさん構文と聞いて…この一首をそっと置いておきますね〜
— 俵万智 (@tawara_machi) February 8, 2024
優しさにひとつ気がつく ✕でなく○で必ず終わる日本語
中学生の時、母に存在を教えてもらった『サラダ記念日』を読んでから、『チョコレート革命』『オレがマリオ』など片っ端から近所の図書館で借りて読んでいたわたしにとって、この言葉は優しく心に沁みました。
日本語がすきだと思いながらも、それだけでは食べていけないだろうと自分なりに考察し、手に職を付けようと思って理系に来て、ひとがすきだったから医学部に進学したわたしにとって、わたしが諦めた日本語の世界にずっといる人たちの言葉は重く、そして軽く優しく、わたしにいろんなインスピレーションを与えてくれます。
どう受け止めるかは個人の自由だけれど、わたしはやっぱり日本語というすてきな言語を使える恵まれた環境にいる中で、句読点は使っていきたいし、気持ちを表すときには積極的に絵文字や感嘆符をつけていきたい。
使い方次第で、より状況や感情が伝わりやすいことは絶対にあると思うのです。その場の最適解を考えるのが個人の判断にゆだねられてほしいし、それ自体を肯定する世の中であってほしいなと思います。
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