ハルの花とハルの想い出 #6

ほぼ毎回一緒に出張しているので、留守番していると落ち着かない気持ちになる。

ひとりで膨大な数値データをまとめながら、つい手元のスマホを見る回数が増えてしまう。プレゼン自体は全く心配していないのだが、それでも、たまにうっかりしているところがあるので、直接会場にいないとどうしてもソワソワしてしまう。さらにいえば、とっくにプレゼンの予定時間は過ぎている。彼からも同行した上司からも一言も連絡がないのは、ものすごく成功して私のことを思い出しもしないくらいはしゃいで飲んでいるか、ものすごく失敗してどう連絡をすべきか思い悩んでいるか。どちらにせよ、極端な状態にあることは間違いない。

モニタの数値に集中できなくなってきていることに気がつき、眼鏡を外して目元のマッサージをする。彼と違って目薬はあまり得意ではない。しばらくグリグリと目元を解すと少し楽になってきたが、これだけモニタとにらめっこする羽目になるのなら、目薬をちゃんと点さないと眼精疲労が悪化していく気がしてきた。

鳴らないスマホ。疲れの溜まった眼。

気がつくと、メッセージアプリを立ち上げて一番上にある彼とのトークルームを呼び出していた。

本当俺がいないとなーんもできないですよね!ひとりでもサボらずやってて下さいね!お土産は買ってきますから!

出発前日、発表資料の最終チェックをしながらニヤニヤと笑っていた彼の姿が脳裏に浮かび、舌打ちが出る。しかし送ってしまったものは仕方がない。

コーヒーでも飲んで気合を入れ直そう。スマホとマグカップを持ち休憩室に移動する。夜食を食べ終わったところで力尽きたのであろう、テーブルに突っ伏した状態で寝落ちしている後輩を見て笑みが溢れる。なるべく音を立てないように注意しながら、後輩の分も一緒にインスタントコーヒーを用意したところでテーブルの隅に置いていたスマホが大きく振動した。メッセージの受信ではない長い振動音。慌ててスマホに手を伸ばしつつ、まだ突っ伏している後輩の肩をゆすり起こし、コーヒーでも飲みな、と声をかける。寝起きに聞こえた先輩の声に反射的に目覚めた後輩の返事と、2杯?という困惑の声を遮るように休憩室の扉を閉めたところでちょうど通話ボタンを押す。

もしもーし!明らかに酔っ払った声の彼の大声に思わずスマホを耳から遠ざける。電話の向こう側で、上司が彼の頭を叩きながら声でかいんだよ!と注意をするのが聞こえるが、これもまた紛れもなく酔っ払いの声。待望の連絡だったはずなのに、一瞬でうんざりした気持ちになりながら、もしもし、と応える。

めちゃくちゃ上手くいきましたよ!1社は確実にうちの使ってくれるってことで、もう1社は今回のじゃなくて今使ってる方を共同で進めたいって。あとは〜!

ボリュームは多少マシになったが、酔っ払いなのは変わらない。細かくは戻ってきたら聞くことにしようと決意し、とりあえず上手くいったみたいで良かったわ、とだけ伝えようとすると、今ビール持ってますか?と聞かれた。

「ビールなんか持ってないっていうか、来週締め切りの提案書に使うデータまとめてるとこだけど」

「あのねぇ、こんなにうまくいったんだから、乾杯!乾杯したいんですよ、ね!ビール!今すぐビール持ってください!」

こっちはもう準備できてるんですよ!わかってないなぁ!などと大騒ぎする彼に根負けする形で、コンビニに向かうことになった。乾杯するんだ、と言うわりに明らかに電話の向こうではビールを飲みすすめていることとか、仕事で煮詰まってる23時過ぎにわざわざコンビニにビール買いに行かなきゃいけないこととか、コンビニに行く間も見張りだと言い張って電話の相手をしなくちゃいけないこととか。なんて自分勝手なんだろう、と思いながらも酔っ払ったときの行動がこれとか本当にやめてほしい、と困惑の喜びでいっぱいになったことを覚えている。

結局、ビールを買って誰もいなくなった休憩室に戻り、そのまま小一時間電話しながらその日一日の報告を聞いた。ビールは冷蔵庫にしまい、後輩が飲んでくれたのだろう、きちんと洗われていた私のマグカップにもう一度コーヒーを入れて飲みながら。成功したプレゼンの余韻とアルコールで次々と膨らむ展望を話す彼は、乾杯のことも私にビールも買いに行かせたことも覚えていないかのように話し続けた。最後には上司に時間を指摘され、うわ!電話代!割り勘してくださいよ!と大声で叫びながらその電話は終了した。

さて、こちらはもうひと頑張りだな。

マグカップを洗いながら、上司からの言葉を反芻する。

彼がトイレに行く間、私が逃げないように通話続けてて!と彼に言われた上司が代わりに電話に出た時。

ほんと口ではなんやかんや言ってるけど、本当にあいつお前のこと大好きなんだなぁ。店の隣にドラッグストアあるんだけどさ、あいつお前からのメッセージ見て急に目薬買ってきます!って言って、買ってきたと思ったら電話します一緒にお祝いしたい、って大騒ぎ。今度からもうバラバラに行動させるのやめとくわ。逆に効率悪い。

電話の前に思わず送った、彼へのメッセージを開く。

お疲れ様。どうだった?こっちは目の疲れがやばいので帰ってきたらおすすめの目薬教えて。

ああ、もうどうしてくれようか。


松尾太陽さんのハルの花を聴いて思い浮かんだ、大切に咲き誇る【あの日に見たハルの花】の話。大切なものや大切にしたいものを鮮やかに甦らせてくれる歌声に感謝の気持ちを込めて。


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