魂のたべもの。 後編

「何か食べられそうなもの思い付きましたかね?」

梓は、準也の声で目を開けた。いつも通りの捉え所のない部屋、テーブルの向かい側では自分の記憶と夢の中とここでしか会えない準也が探るような笑顔を浮かべている。悪戯心が芽生えて、不安そうな声を出してみる。

食べられそうなもの?

梓は自分の声の遠さへの違和感に舌打ちしそうになるのをグッと堪えた。ここの最大の難点は自分声が外には出ていかず自分の中だけで反響することだ。お陰で耳からは話したはずの自分の声は聞こえず、体の中で幾度も響く妙な音のように感じる。この音がなぜ準也には普通に聴こえるのか聞いてみたこともあったが、以心伝心的なアレですよ、と誤魔化された。本当に不思議な場所。

一方、準也は梓の言葉を聞いた途端に、笑みを引っ込めて呆れたようにため息をついた。

「はいはい、今日は覚えてる方の梓さんですね。もうマジで、貴方がこういうことで俺を騙すの絶対に無理なんでやめてください。面倒。ほんと手がかかる。」

どうやら悪戯は失敗らしい。それでも梓は覚えていないフリをしてもう少し粘るか、降参して普通に振る舞うかで一瞬悩む。その一瞬の逡巡を汲み取ったようで、準也はさらに大きくため息をついた。

「梓さん。いい加減にしてください。」

はいはいはい、わかりました。私が悪かったです。さっさと食べて帰りますよ、帰ればいいんでしょ。

梓が早口にそう言うと、準也は大きな声で笑い声を上げた。笑っている姿を見るのは好きだが、笑われたいわけではない。梓は肩に力を入れて無言を貫くことにした。

「なんでそうすぐ拗ねるかなぁ。早く帰れなんて言ってません。ふつうに選んで、のんびり食べて、元気に帰ってください。」

のんびり、の響きに梓の目が輝いたのを見逃さず、準也はできるだけ優しい声で話を続けることにする。梓の機嫌を取るのも損ねるのも、梓が準也のことを準也として認識してさえいれば赤子の手を捻るように簡単だと準也は思っている。

「今日はどうします?また歌でいいですかね?」

その言葉に梓は大きく頷き、身を乗り出して説明し始めた。

あのね、この前も選んだかもしれないけれど、やっぱり松尾太陽さんのものがたりってすごいアルバムだと思うの。聴くと本当に自然にパワーが湧いてくるっていうか。まさに、魂のたべもの。しかも全く飽きない。永遠にこれたべてることになるかも。あ、でもうたうたいももちろん好きよ。ほんとこの歌のおかげで色々保ってる。

梓は自分の声の違和感も気にならない様子で熱弁を奮っている。魂のたべもの。体にとっての食料と同じように、魂の栄養源となるもの。梓の燃費が悪い理由は、一般的なたべものである愛や夢をたべたがらないからだと準也は思っている。愛も夢ももう宝石みたいに固めてしまったから食べられません。ここがどこだか覚えていない状態でも、梓がそれらを食べることを拒否するときの毅然とした表情は変わらない。ましてや、今日のように準也を準也として認識している梓では絶対にたべたがらないだろうことはわかりつつ、準也は一応尋ねてみる。

「楽しい、とか、好き、から選んで、音楽や小説をたべるだけじゃなくて、愛情とか夢とか希望とかたまにはそういうのもたべたほうが魂の状態には良いですよ」

途端にぴたりと口をつぐみ、真っ直ぐな目で準也を見る梓から目を逸らし、準也は言い訳のように言葉を続けた。

「ほら、コラーゲン摂ると美肌になる、みたいなさ。食べ物の中でも、肌にいいものとかあるじゃないっすか?そういう意味合いでさ。」

準也。

梓は準也の心配を受け止めながらも、何度も説明してきた説明をもう一度する。

たべもの、って呼ばれるだけあって、たべると私の魂の血肉となってくれるから消えてしまうわけではないけれど、たべたものの在り方は変わってしまうでしょ?音楽とか小説とか自分の外側にきちんと存在しているものなら私がここでたべても本質的に無くならないし、また体を使って外側で実際に聴いたり読んだりすれば、またここで何度もたべられるでしょう?でも、私の愛情とか夢とか希望とかはもう外側にはないから。準也の体がさ、外側の世界でもう存在しなくなった時に、一緒になくなっちゃったから。準也がもう外側にはいないのと一緒で、ここにしかないから。ここでたべたら、別のものになって私の中に溶けて消えてしまう。それはどうしても嫌なの。

「じゃあさ、いっそのことさ」

梓の言葉に準也が何か決定的なことを言おうとしたのを、手を振って止める。大丈夫。通常より燃費が悪いらしいけれど、その分たくさん聴いて、ここでたくさんたべているから大丈夫なはず。

準也、今日はSorrowと体温とHeroにしよう。

梓が笑顔でそういうと、準也もいつも通りの笑顔に戻る。そして準也は、本当にその3曲好きですね、といいながら、いつの間にか手元に持っていたコップのようなものを梓へと差し出した。梓も手を伸ばし、、、


梓はイヤホンから流れるSorrowの歌声で、どうしようもなくぐちゃぐちゃになっていた気持ちが急激にすーっと晴れていくのを感じた。ああ、本当にすごい歌声。1日働いた帰り道。電車の揺れに身を任せながら梓は軽く目を閉じる。最近、食べるのも眠るのも面倒で、何をしても疲れが取れないけれど、好きな歌を聴いている時は別。というかむしろ、食べたり寝たりするより余程、体にも心にもいい気がする。歌を食べて生きているみたい。梓は自分の思いつきにマスクの中で小さく笑う。

ああ、歌だけ食べて生きていけたらいいのになぁ。

Sorrowの最後のロングトーンが耳に、心に気持ちがいい。次は体温を聴こう。その次はHeroがいいかな。

梓は音楽プレイヤーをポケットから取り出し、次の曲を選んだ。


♬私だけなら 魂のたべものは何ですか 何ですか   心がいま叫ぶんだ この声だって この呼吸だって         この体温だって この指先だって           使い道も分からないままで

魂のたべもの / ももいろクローバーZ を聴いて。

百田夏菜子さんのソロコンで「魂のたべもの」を聴きながら、自分の魂のたべものは何だろう、と疑問がよぎった。自分なりに考えた結果、好きな音楽や小説がそれかなと思い至った。その感覚を物語に託してみました。


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