クレッシェンドの共鳴

絶対、今日は会えると思っていた。咲良は夢の中でハッキリと意識を持って目を開けて、目の前に座る彼に微笑んだ。迂闊に目を覚ますこともなく、無事に私としてここに座ることができ安堵したのは咲良だけではなかったようで、彼の肩から力が抜けていくのが目に入った。
咲良は精一杯の強がりを総動員して、微笑みを満面の笑みに変えた。
「そんなに私に会いたかったの?」
彼は一瞬目を見開いたあと、私の大好きな大きな声の笑い声を上げる。
「こっちのセリフ過ぎるし、声も手も震えてますよ」
それに、と言いながら彼は私の鼻を指差し、かの有名なトナカイのクリスマスソングを歌い出した。
「なんで泣いてたんですか」
泣くと鼻が真っ赤になるからバレバレですよ。彼はそう言いながら立ち上がり、小さくて真っ赤なホーローの可愛いやかんでお湯を沸かし始めた。
「私ね、わかったことがあるの」
咲良は彼の背中に、ありがとう、という言葉をかける。
唐突な感謝の言葉に振り向かない彼への想いがより一層輪郭を帯びる。これは私のただの独り言。心の中で育ち続けたありがとうが溢れて出来た水溜りのような世界。

クレッシェンドっていう曲をね、聴いてたの。最初はね超特急さんと8号車の素敵な物語に感極まって涙が止まらないのかと思ったんだけどね、あまりにもポロポロと、何回聴いても驚くほど涙が止まらなくて、段々気持ちがザワザワしてきて。いつもだったらMVとかパフォーマンスを見ると、曲を聴くと自然とその映像が浮かぶようになるのに、いいえ、今回も浮かぶようにはなったんだけど、視界が二重になってるみたいに浮かぶイメージに何かが重なっていてね。何回目かわからないクレッシェンドを聴いていた時に急にピントがあったの。自分の気持ちに。クレッシェンドは、私とあなたの物語だってすごく勝手だけど本気でそう思ったの。あなたと出会った時、本当にもう立っている事どころか座っているのがやっとだった私が、あなたの言葉と視線に支えられて全部を乗り越えて、ふたりで笑い合って。喧嘩して、行き詰まって、立ち向かって、少しずつ前進して、また笑い合って。急にあなたがいなくなって。
もっと弱くて、もっと他にも大切なものがあったら良かったんだけど、強くて賢くて覚悟を決めた私は、こんな風にこういう場所を自分の中に作り上げて、あなたのことを縛り付けて、どんどん壊れながらも奇妙なバランスで安定していて。この世からいなくなった程度のことで、あなたを思い出になんかしないし、大切さは揺るがない。語ることすらできない空気感すらそのまま大切にして、進む時間とは関係なく、あなたがいるココを自分の居場所と決めたの。私は私なりに幸せで。ここ数年は意外に揺るがずに過ごしていたのに。クレッシェンドに風穴を開けられたのよ。帰り道にひとりでクレッシェンドを聴きながら歩いていた時に、急にね、頭の中があなたの笑顔だけでいっぱいになって、いつもありがとう、って言葉がポロッとこぼれ落ちたの。そうしたらもうダメだった。あなたと出会った瞬間から共に過ごした日々、会えなくなった後も、あなたに支えられているから、どの瞬間の私も私として存在できているの。そんなあなたへの感謝の気持ちは褪せることも減ることもなく、どんどん強い気持ちになっていて。私の中でいつのまにか、行き場を失ったありがとうがはち切れそうなくらい膨らんでいたの。

「ここで会えたときに、言ってくれたらいいのに」
湧いたお湯をカップに注ぎ、少し冷めるまでちょっと待ってね、と言いながら私の目の前に差し出すと、彼は再び最初に座っていた私の正面の椅子に腰掛けた。私はカップに触るか触らないかの位置に手を添えて左右に首を振る。分かりきっていることを言わせてしまった自分の弱さを飲み込んで、言葉に変える。

他の全部はココで話せても、ありがとう、だけはやっぱり私から独立しているあなたに伝えたかったのよ。だってそうでしょう?ありがとう、の気持ちだけは本当にあなたに逢えた時に自分の言葉で伝えないと。無意識にだけど、それがわかっていたから、だから私は沢山のありがとうを口にすることもできず、どんどん自分の中に溜め込んで、危うく行き場を失ったありがとうで自滅するところだったんだと思う。そんな実は綱渡りのようになっていた私の内側で、クレッシェンドのタカシくんの美しく輝くファルセットに感情が共鳴して、あなたの笑顔にむけて素直にありがとうって思うことを認められたんだと思うの。ありがとう、ってね消耗しないんだってことがわかったの。ひとつありがとうって思ったときに、そのありがとうを口に出すと、そのありがとうは成仏するみたいにキラキラと消えていくんだと思い込んでたんだけど、違ったの。ひとつのありがとうの気持ちを、何回でも言葉にできるんだって、クレッシェンドを聴いていてやっとわかったの。だからね、これからはココでも、逆にあえてココに来ていない時でも、呼吸するように、水を飲むように、必要な時に、望んだ時に、自由に真摯にありがとうの言葉をあなたに送るわ。
何度伝えてもひとかけらも減らない、むしろ言葉にするほど増えていくあなたへのありがとうの気持ち。他のどんな感情よりも明らかに大切なこの感情と言葉を自覚してしまったから。もうこれまでと同じには戻れないけれど。でも他の何かを諦めてでも、私はあなたへのありがとうの気持ちを認めて育てて慈しみながら、私の外側にいるあなたにまた会える時を楽しみに過ごすわ。

「本当にあなたは俺のことが大好きですね」
私の目の前のカップを両手で包み込み、良い感じに少し冷めましたよ、と白湯の温度を確認してくれるほど、私を想ってくれてる君が何を言ってるんだか。くすぐったいほど幸せな気持ちが湧いてくる。私は彼が丁寧に用意してくれた白湯を一口飲んで、たった5文字に全ての想いを込めて口にするべく、口を開いた。

クレッシェンド / 超特急

♬ありがとうのクレッシェンド
 見たことない景色見よう
♬また「ありがとう」が増えていく
 溢れ出して止まらない
♬ほらありがとうのクレッシェンド
 共に生きる世界から 心に力をくれる 
 キミに感謝!

【クレッシェンドの話】で少し触れた、クレッシェンドが大好きな気持ちの影で育って私の世界を変えた発見を、拙い物語に変えて。

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