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いつも、全部おいしかった。【chapter73】






「テイクアウト。本当に帰るの?」

「帰りましょ、ちょっと待ってて食べちゃうから、帰ってお昼寝しましょ」

「お昼寝。

映画館で俺がお昼寝して二千円をどぶに捨てるよりましだわっていう針を真綿に包んでいる?

洗濯して掃除してシーツを干して、二度の食事と時々弁当おやつ付き。不規則勤務に振り回されて、久々のまともな休日に自分でも作れそうなサンドイッチを食べて、久々のまともなデートは技術とサービス精神に欠ける昼寝に変更。

なのにありがとうもまともに言わないし、そう言えばプレゼントなんて私もらったことあるかしら?たまにはCとかLとかDとかついてるバッグのひとつくらいもらってもバチは当たらないわ。っていう、積雪のようなストレスを包容している?」

この穏やかな昼下がりに満腹を抱え、映画館へ行けば予告でさえ危うい。

そのくせ太陽と洗剤の混ざった匂いがする清潔なベッドにソノコと潜り込み、首筋か胸の谷間に鼻を埋め、少し汗の匂いが混ざる柔らかい肌の匂いを限界まで吸い込み、頭を腕のなかに包んでもらい、細い指で甘く爪をたて髪をとかれ、背中に手を回してしがみつくように身体を抱きしめ、甘え、「リョウくん苦しい。いるから大丈夫」を、耳元、息がかかる距離で聞けたら五秒で寝息をたてる前に、眠気が覚め、ソノコの上に身体を沈め中に、一番奥まで入りたくなることは、考えずとも想像は容易い。また、ソノコはその全てをお見通しであろうという想像は一層容易い。

ふふっと清濁飲み込む笑顔が、目の際のほくろが窓からの陽射しに白く溶ける。

「真綿には包んでない。私は自分の幸せには責任をもちたいの、自分が選んだ幸せを気に入ってる、最高に素敵な毎日よ。大丈夫、私も眠いのよ。タカシくんもそうだったけど、リョウくんも一緒にいると妙に眠くなるのよね」

「寝ても寝ても眠くて。申し訳ない」

ソノコの口からタカシくんという音を聞き、気持ちが微動だにしない日はくるのだろうかと、眠い頭でリョウは思う。空っぽのコーヒーカップの底、黒いリング。

「わかった。帰って昼寝したら映画を観よう。録り貯めて手つかずだ」

「素敵!最高に素敵!ケーキを食べながら映画。コーラとお菓子も買って帰りましょう、夕飯はピザよ」

「最高に素敵?部屋で映画が?」

「最高に素敵よ」

「最高に素敵か」

「そうよ。リョウくんはご機嫌がいいとお喋りになる、それに眠いときも。タカシくんは逆だったわね、タカシくんは頭の中に沢山言葉が泳いでる人だった、それで大切な時にその言葉は洗練されて飛び出すのよ、最高に素敵。

タカシくんもお昼寝がすごく好きだったのよ、でも、長く寝すぎた日は夕暮れどきに起きると、必ず淋しそうにするの。

貴重な休日を寝て過ごして、無駄にしちゃったって後悔してるのかしらって、始めの頃は思ってたんだけど、違ったのよね。

『リョウくんなにしてるかな?』

って、暗くなった外を見てぼんやりしてた。

昔、三人でいた頃ね、夜リョウくんが帰っていくじゃない。

ごはん食べてじゃあそろそろ帰るねって、タカシくんと玄関まで見送るとリョウくん『ここでいい』って言うときがあったじゃない。外まで見送らないで玄関でバイバイしてドアを閉めるとタカシくん、

『まだ鍵かけないで』

って言うの。

『夜の鍵の音って、ガチャンてすごく大きな音で響くから。リョウくんに聞こえて、外に一人きりにされたみたいになって淋しくなったらかわいそうだから』

って」

俺はいつだって、大切なことはあとになって知る。

奪いっぱなし、エサも手紙もプレゼントもサプライズも特別なお出かけもない。気の効いたプロポーズさえなかった。

にもかかわらずケーキが冷蔵庫の中で出番を待っている、自分が産まれてきたことを祝ってくれる人。

あとでなく、今知りたいことがある。

オイルを纏ったタコを腑に落とすと、水のようなジャスミンティーを飲み干し、リョウはポケットから財布を出す。

「俺帰るわ」

紙幣をカウンターの木目の上に置く。

「手紙書け、天気でも、そぼろパスタの感想でも、愛してるでもいい。求められるなら百枚でも二百枚でも書け。今月誕生日が二度きたらおめでとうを二度伝えろ。ごめん行くわ俺、よくよく考えたらエサをぶら下げたところであいつは食いついてこない、でもずっとそばで泳いでる。

聞いてみたい、なにで腹を膨らませているのか知りたい、行くわごめん。ビールはおごる」

頬杖をつくオギが笑う、頬を支える手が大きいと思う。高校生の頃、

「俺は手の平が広くて指が長いからボールを掴むのに有利」

だと、バスケットボールをくるくる回し誰一人傷つけない自慢をしていた。

爽やかな笑顔にネイビーが似合った、今も。なんだかんだ言いながら手紙を書き、そぼろだと言いながらパスタを完食する優しさを彼女はきっと愛しているのだろうとリョウは思う。

爽やかな笑顔をのせた長身痩躯の、ネイビーが似合う男をきっと愛している。

そして、ネイビーはたいがい誰にでも似合うのだ。

「彼女の答えが気になるからラインして、なにで腹パンにしてんのか。妙なことほじくりかえして、って、まあそれが白黒させたがるお前の性分なんだろうけど。寝た子を起こして捨てられないように。

あー、誕生日おめでとう。昨日だよな?お前の誕生日って覚えやすいからどうしても忘れらんないんだよな。他に覚えなきゃいけない日がくそほどあるのに。

あのさ。酔ってるから言うけど。もう二度と言わないけど。言ったら多分俺、忘れるし。お前、タカシくんには敵わないって、それがお前のネックだよな。味方も大事だけどライバルのことって忘れられないもんだよな。

俺はお前らの詳しい事情なんて知らないし興味もないけど。あいつには敵わないって、だから絶対に忘れられないってさ。忘れないって何よりの供養になるんじゃねえの?んでさ、供養ついでにいつかタカシくんを越えろ。いつか必ず。安心して休んでもらえるように」

でもきっと、特別な人が纏えばネイビーは特別な色になる。

昨日でも今日でも明日でもいい。ありがとうを伝える口実ができるなら、誕生日はいつでもいい。ソノコからおめでとうをもらえたらありがとうの口実ができる。

「またな」

オギの背中を叩き、ありがとうの代わりに「また」を伝える。またな。またね。また近々。また今度。また明日。また会おう。未来を約束する言葉を、未来に続く言葉を丁寧に。タカシがいない未来を忘れられないまま、ただ、生きていく。


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