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推し沼にハマった瞬間〜度会隆輝選手(横浜DeNAベイスターズ)

推しというのは、ここ5年くらいで、とてもカジュアルに使われるようになった。わたしはフジファブリックの志村正彦の死から、特定の誰かを推すのが怖くなってしまい、しばらく特定の実在する人間を好きと公言することはなかった。そんな、推し自粛人間のわたしが、朝に夕に検索し、試合開始から野球速報アプリを開け投票し、結果に一喜一憂して、ときにスポーツ新聞を購入するなど、暮らしが一転するほどハマってしまったのが、ベイスターズの度会隆輝選手だ。

1、わたしと野球と野球熱と

1、2014~2018シーズン


もともと夫が野球好きで、彼が家事の合間に中継をつけていれば眺める程度だった。すぐ近くで結婚式をするので写真を撮りたいし観たいと、夫の希望でハマスタこと横浜スタジアムに初めて行ったのは2014年4月のヤクルト戦。同学年の井納選手の勝ち試合を見て(同郷の畠山選手がヒットを打ったのもよかった)勝ったらI⭐︎YOKOHAMAと書いたものを掲げ、「アイラブヨコハマ」とコールするのが新鮮だった。あれ一緒にやりたいよね、と夫に言った翌々月にI⭐︎YOKOHAMAと書かれたタオルが出て、「痒い所に手が届く」と運営会社のDeNAに感心した。2015年は山﨑康晃選手が入り(9回に3点以内のリードをしていれば投げる)抑えを担当した、新人が9回を任せられるのは当時は異例のことで、彼はベイスターズのレジェンド大魔神佐々木選手をリスペクトし、自分のことを小さな大魔神と言った。登場するときには、登場曲に合わせて、ジャンプをする「ヤスアキジャンプ」なるものがあり、会場を大いに沸かせた。彼のお母さまが球場に来れば勝つとか、1番バッターの石川雄洋選手が1打席目ヒットなら勝つとか、球場に猫が乱入したら勝つとか、9回ツーアウトから逆転とか、とにかく勝った。勝つたびはしゃいだ。2015年(の交流戦前)のこの謎躍進が無かったら、ここまで野球にハマらなかったと思う。わたしにとって野球はたまに見にいく面白いイベントから、tvkのテレビ中継もほぼ観て、主体的に追いかける趣味になった。応援歌も少しずつ覚えて歌った。特に2016〜2018シーズンは夫もJR某線のエキチカ勤務になり、ハマスタまで1時間を切り、わたしに至ってはみなとみらい線沿線だったので、職場のドアtoハマスタのある横浜公園までなら15分だった。もはや平日のほうが移動距離短くて行きやすいから月一くらいで平日試合を観に行く暮らしだった。2016シーズンは番長こと三浦大輔監督(当時は選手)の引退試合を観に行った。たまたまチケットを取った日の試合が中止になり、みなとみらい付近におり、最終戦のチケットをハマスタで売り出したとの情報を得て、3時間半並んでチケットを取った。引退試合は普通初回バッター1人と対戦して終わるのだが、6と3分の1回投げるという、きわめて異例のものだった。見たことのない魂の投球に目頭を熱くした。2017シーズンはより観戦しやすい横浜市某所へ転居、初の日本シリーズ進出、熱は最高潮に達した。応援すれば、勝つんだ!そんなことを思わせてくれた。

2、2019〜2023シーズン

2019年夫はJR駅からそこそこ遠い部署に異動になり現地観戦が減り、コロナ禍以降は互いに体がそこまで丈夫じゃないのもあり、なんとなく現地は疎遠になり、野球速報も見ない、(夫はたまに見たいといって中継を見る日もあったけど)わたし1人なら野球情報を追いかけなくなってしまった。コロナは明けたと言われるが、わたしは転職し、東京の(南北で言えば)真ん中くらいの勤務地になり、定時で帰っても試合開始に間に合わなくなり、見に行かないのが日常になってしまった。

そんなわたしに再び熱を灯してくれたのは、前述の度会選手だ。

2、「推し」度会選手との日々(2023オフ~)

1、数分惚れする


ドラフト直前、tvk(テレビ神奈川)の夜のニュースで、神奈川県在学在勤のドラフト候補の面々を取材するコーナーがあり、度会選手が紹介されていた。お父さんはプロ野球選手、名門横浜高校、高校時代はドラフト指名されなかったものの、いまは社会人野球のENEOSで活躍していると紹介された。明るくハキハキと話す姿、横浜で、ハマスタで野球をしたい、ベイスターズに入れたら嬉しいと目をキラキラさせながら言い、終始口角を上げてニコニコしていた。地元の子(横浜高校に入ったら、もう実質横浜市民だと思ってる)がそう言ってくれるだけで嬉しくて、一目惚れならぬ(放送時間の)数分惚れした。この笑顔を全力で守りたいと強く思った。この時点で中日ドラゴンズが度会選手を一位指名することを公言していて、「度会選手の悲しむ顔は見たくないから、横浜ベイスターズ以外に行ったら24シーズンは野球見ない(夫もテレビつけないでほしい)」宣言をした。

(ここから大好きが爆発するので、度会選手→度会くんに表記が変わります。わたしが文章を書くときは極力表記ゆれが無いようにしていますが、推し度の増加を表現するため、あえてそのままにしています)

2、推しがうち(横浜)の子になる


ドラフト当日、中日ドラゴンズのほか千葉ロッテマリーンズが度会くんを指名して、3球団でのくじ引きをすることになった。確率は33,3%。見事にベイスターズが引き当てた。度会くんは嬉し涙を流してくれて、沼に片足が入った。背番号は4がいいかなあ(お父さんの背番号であり、高校の先輩であり同じポジションの荒波翔選手がつけていたから)と思ったら、みんなの思いはひとつだったようで、4番に決まった。度会くんは練習の合間を縫ってテレビに出たり、ハマスタで活躍した今昔のレジェンドたちで試合をするイベントに参加したりと心配になるくらいすでに活躍していた。

3、オープン戦、開幕カードでの活躍に心躍る


3月が死ぬほど忙しい職場なのと、途中でコロナにかかったので、オープン戦は動画では全く見られなかった。それでも度会くんがオープン戦首位打者になったこと、ルーキーでは相当珍しいこと、嬉しいニュースはポツポツ入ってきて、見事開幕一軍を掴み取ったことを知る。初戦、なんとか自分のその日中のミッションを終え走って帰宅しテレビ観戦を試みるも電車の遅延で5分遅れた。そのせいで初打席は見られなかった。野球速報で凡退したことを知った。時間休を取り観戦していた夫に遅延が無ければ…と愚痴った。配膳したり食事の準備を進め、食べると2打席目が回ってきた。やっと度会くんが見られる。最初こそ可愛いとか頑張れとか、ワーキャー言っていたが、信じられないことが起こる。

彼の打球はぐんぐんライト方向に飛び、ついに外野席に入ってしまった。これを、世界はホームランと言う。夫と叫び、わたしは泣いた。ヒーローインタビューで少しも臆することなく最高でぇーす!と持ちギャグ?決め台詞?を披露する芸人のような姿に笑い、ファンの皆様のおかげ、とアイドル然した模範解答にときめき、とうとう両足が沼にはまり、出られなくなったことに気が付いた。恋はするものではなく堕ちるものなんだと思い知らされた。

次の日もホームランを打ち、鮪のぬいぐるみを持ってヒーローインタビュー後の撮影をし、順風満帆のスタートを切った。度会選手は数々のタイトル争いに参戦し…なかった。

4、度会くんの受難、壁にぶち当たるのを見守る


プロの世界は残酷だ。とにかく苦手コースを分析し、徹底的に苦手なゾーンに苦手な球種を投げる。左投手が苦手?選球眼はそこまで高くない?外角?落ちる球? 打率はみるみる下がった。低い打率や打てないこと、最高でぇすの元気な挨拶、塁上でのガッツポーズ、ずっと大事にしてきた打席のルーティーン、一挙手一投足に文句を言う人たちがいた。ピカピカの笑顔はだんだん陰り、それでもいつも歯を見せて笑う、というか無理して笑っているような表情だった。チームも負けが立て込み辛かった。もちろん一塁まで全力疾走したため相手が焦りエラーし一塁に残留する、凡退したけどがんばって8球粘る、とてもいい当たりだったが、それ以上の相手の守備がよかった、など記録上ヒットでなくとも、ずっと全力プレイで頑張っていた。チャンスで度会くんに打席が回り打てないことが続き、見ているのが少しつらいと感じることもあった。

5、度会沼に沈む日(4月26日、満塁ホームラン)


4月26日巨人戦@横浜スタジアム、度会くんの打順が8番になった。明らかに元気がなさそうだったので、プレッシャーの少ないところで自分の持ち味、よさ、バッティングを見つめ直してくれたらと思っていた。この打順がよかったのか、度会くんはヒットを2本打った。ああ少し手応えを感じられたかななんて思って安堵していた。味方のヒットにも元気にはしゃいでいて、これで一安心かなと思った8回裏。巨人のピッチャーも同じくルーキーでドラフト一位、ここまで失点0の西舘選手(余談だが、西舘選手は同郷岩手出身なのでちょっとだけ応援してる)、見事打線は点を重ね、ピッチャー交代、さらに後続のピッチャーも打ち、ツーアウト満塁、打順を変えてもチャンスで回ってくるのなんなの…ここで度会くん対策で度会くんが苦手としている左の高梨選手に変えてきた。4月の打率2割の21歳ルーキーにここまでするのは相当異例のことだと思う。もうだめかもと思ったフルカウント、低めに来た球をコツン、かるーく打ったように見えた打球は4週間前と同じようにライトへ、観たことあるような軌跡を描いた。ホームラン、というか満塁ホームランとなった、なってしまった。(ふたたび余談だが、この満塁ホームランで、西舘選手の自責点をもう一つ足し、初の負けをつけた。新人王争いの幕開けの目撃者になった。)

左苦手じゃなかったの?調子落としてたんじゃなかったの?テレビの前のわたしも何が起こったのか理解するまでに時間がかかったし、キャリアの中で何十本をホームランを打っている牧選手・宮﨑選手も喜んだり笑ったりする前に「ええ…」という表情を浮かべていた。ベイスターズ新人史上初の満塁ホームランだそう。実はこの日時点でハマスタでホームランが出たのは3本、全て度会くんだ。もちろん先輩たちのバッティング能力は低いわけではない(真偽は不明だが例年より球が飛ばない、途中から飛びはじめたので飛びにくい球が使われており途中で変わったのではという噂はあった)。「笑顔を忘れなかった度会に、野球の神様が微笑んでくれた」とtvkの吉井アナウンサーの粋な表現に、納得せざるを得なかった。打てないときもバットにやつ当たりしないよう自制していたのも、必死で笑顔を作っていたのも、神様はずっと見てくれていたのだろう。

度会選手はいつもより少し控えめに喜び、その後ずっと泣いていたようだった。裏の守備では観客に深く頭を下げた。8番になってこのままではスタメンから外れる、一軍にいられないとか、打てなかったらどうしようとか、迷惑かけて申し訳ないとか(新人なんだから気にしなくていいのに)、ずっと考えていて、やっと出た一本、少しだけ明日も出られるという安堵もあったのかもしれない。ヒーローインタビューもいつもの最高でぇすが言えず、うまく笑えずずっと唇を噛み締めてカメラの前で泣かないように堪えていた。ヘラヘラしているようでほんとうは色々考え込むタイプなのかなとかさすがにここまで色々言われたら辛いよねとこっちも泣きそうになったが、一緒に耐えた。元気で明るい姿ももちろん大好きなのだが、うまく喋れず素が見られたときのほうが、よりいとおしく感じる現象に名前をつけたい。

「ちょっとですけど打ててよかったです(3安打4打点、うち一本が満塁ホームラン)」と、調子乗るなと言われ謙遜しすぎてなのか、涙堪えて打席内容を忘れたのか、迷言が生まれてしまい、わたしも一緒に歯をくいしばって泣かないよう耐えた。このとき度会沼に深く沈み込んでいくような感覚を覚えた。

3、最後に


1ヶ月、感情ジェットコースター状態である。デッドボールのときは怒り、ヒーローインタビューで泣き笑い、スポンサー企業からの賞品贈呈では使っている・食べている姿を想像しニヤリときにクスリとし、打てないときは一緒に悩み、本人が泣かないよう堪えてるときは一緒に我慢して、もう度会くんにすっかり夢中だ。

いまは毎日元気に(心身のうち「心」は本当は元気じゃない日もあるかもしれないから無理しすぎない程度に、「身」は疲れや日によって小さい体調不良あるかもしれないが、怪我なくあってほしい)球場に来て、少しずつ成長していってくれればそれでいいんだよって思ってる。

そしてできればたまに「ちょっと」打ってほしい。


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