そのままのあなたで良いよ

真剣に仕事に向き合っていれば、緩い気持ちの者を見ると怒りが湧くはずだ。会社の大先輩が仰っていたのをふと思い出しました。

全体の成果の為に、時には叱責も必要だと、それが自然に湧き上がる物だという。

その気持ち、理屈の上ではわかります。

でもね…。

そう言う方に限って、いつも怒ってばかりなんだよな。

「そんなんじゃダメだろ!」
「ちゃんと聞いているのか!」
「仕事なめてるのか!」
「手を抜くな!」

私はずっと、こういうタイプの方が苦手でした。

仕事を出来ないことが、叱られる理由になる世界がイヤなのです。いや、そもそも怒りの感情に触れると、思考停止してしまいます。何を言いたいのか説明出来てないし、頭に入ってこないから。

ダメだろ、聞いているのか、舐めているのか、手を抜いているのか…。

双方に行き違いがあって、そう思われているのでしょう? 怒りの感情でぶつけられると、話し合いはできません。命令として受け取ってしまいます。

なぜ、自分が絶対に正しくて、相手が絶対に間違えていると言えるのでしょうか。

手を抜くなと叱責する自分は、絶対に手を抜かないのでしょうか? 自己評価では、そうなのかもしれませんが、本当ですか?

私は手を抜きますよ。

なので、ここは手を抜いて欲しく無いというところだけ、説明するように心掛けています。

ひと言「まあ、偉そうなこと言うけど、俺も失敗するから、一緒に気をつけてやろうね」と付け加えて。


でも、近頃少し考えが変わってきました。

激しい感情を乗せて人に接する人にも、その様な役割があるのかもなって思えます。

きっと、意味があって存在している。

だから私も、そういうやり方を頭から否定する考え方をやめてみようと思います。

怒りたい人は怒ればいい。その感情に振り回されて、他人を傷つけるのでなければ。

怒りが、相手を救う事もある。
優しさが、相手の傷を深くする事もある。

結局は、どちらもありなんですよね。


私は、怒りの感情が少ない役割を担っている。

もっと怒れよ、と言われてもそれは出来ない。

あなたに、そんなに怒るなよ、と言っても変わらないでしょ?

みんな、それぞれの個性を持っていて、それは変わらないし、変える必要もない。変わろうと思う出会いや出来事があった時だけ、書き変わるもの。


まぁいいか、なんでもあり。

ネガティブもポジティブも、全部ありの優しい世界。

そんなの、現実を見ていないお花畑でしょうか?

少なくとも、私の周りからイヤな人は居なくなりましたよ、皆んな良い人だよ。


仕事が好きでも、相手も同じとは限らないから、その思いは届く相手も届かない相手も居る。

一方で、相手のことが好きならば、どのように伝えてもちゃんと届きます。

厳しい指導も、寄り添う優しさも、相手のことが好きでなければ効果は無い。

物事に取り組む熱量や思いの違いを認め、その相手を好きになることが、生産性の向上や合理化への第一歩だと私は思います。


どんな人にも「そのままのあなたで良いよ」って言えるようになりたいな。

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