なるようになる
最近、「しあわせ」についてよく考えます。
生まれた瞬間のスタート地点では、幸せしかなかったのかもしれない。
生きていくのに、様々な場面で不幸を感じます。不幸を感じるのは、最初は幸せだったから。
幸せだった始まりの時を記憶しているから、出来ない事を体験する都度、不幸が増えて行く。
そして気がつけば、不幸だらけの人生に。やりたい事をやろうと思う。その気持ちは、やれていない今は足りていないと感じるから起こる。
モチベーション高く、不幸を乗り越える努力、忍耐、行動。もっと高く、もっと強く、もっと遠く。
きっと、何かのご縁があったり、やるしかないという状況であったりで、見えない何かに導かれて、その道に進んだのではないのか…?
ただ、流れを受け入れた。それがやがて自分らしさへと昇華した、ということかもしれない。
他人から見れば、大変な努力。
ご本人がどう感じているのかはわからないけど。
やりたい事を夢中でやり、世の中に貢献する。そんな人達のお陰で、豊かな社会が成り立っている。
私には、そんな方へは感謝の感情しか起きません。
そして、ある程度の歳を重ねた今思うのは、本当の幸せは、不幸だと感じる事と共に、自分がやりたい事、すら手放した先にあるように思えてきました。
なにもやらないという時間。
生きていく上でそんな状態を作る事は困難ですが、ただ在るだけでしあわせとは、生きながら身に纏ってきた不幸の素に気付いて、それを自覚しその中にある生まれた時の幸福のかたまりに気付いて行く。
もう、なにを求めなくとも、しあわせである。
足るを知る、ということなのかもしれない。
ならば、これから先の人生を、
ただのんびりと過ごすのか?
そうかもしれませんね。
そうではないかも、しれませんね。
それはきっと、ご縁次第。
そんなんでええやん。流れに身を任せて。
なるようになる。