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今、ここに生きる

何度繰り返したのだろう。

もう、幸せになんてなれない。
どうしようもない。そんなイヤな感情に対処するためには感情全てを消せばいいと知った。

蓋をするよりもずっと楽。
喜びを感じない代わりに、悲しみや怒りも感じない。
感情を感じるのは、辛いだけ。

そんな自分と、異なる自分が居る。

幸せは、なるものじゃなく、感じるもの。
こうなれば幸せという条件付きの幸せは、失う恐怖とのセットになっている。

失うこともまた、幸せだなと感じられた時、すべての出来事、すべての存在が元々幸せなんだと気が付いた。

足るを知る。欠けた部分にばかりフォーカスしない。


この間を、何度も行ったり来たりする。
どうやら周囲の人が放っている感情に左右されている。

でも、どちらの自分も自分の選択。
どんな自分も認めてあげたい。


今、ここに生きる大切さは骨身に染みている。

このnoteを書くきっかけとなった出来事がある。

思うようにならない我が子に対して、日々のストレスで限界を超えていた私は、鬼の形相で追いかける。それを見て、遊んでくれていると勘違いして、ふざけて笑いながら逃げ回る。必死に捕まえて思いっきり背中を叩く。
まだ、笑っている。
何で笑えるの、何が面白い、ふざけているの?

そうではないこと、頭では分かっていた。
分かっていたから余計に辛かった。
こういう時は泣くものだよ、何で普通じゃないのさ…。
私の方が毎日泣いていた。

でも、あの日だけは、最後のあの時だけは振り上げた手が止まった。そのまま、今まさに叩こうとした力で自分の足を叩いた。季節は夏、直接肌に痛みが走る。
でも、相変わらず笑い転げていたあの顔。

それがあなたとの最後の思い出。

あの時、自分の手を止めたこと。
その後、どれほど私自身を救ってくれたことか。

もし、あの時も手を止めず叩いていたとしたら、後悔と懺悔の気持ちで私は耐えられなかったかもしれない。


今も家族と暮らし、会社で働く日々は変わらない。
私を取り巻く人々と、今を共有しながら泣き笑い、時には怒り、責めたり責められたり。

それぞれの世界観を持ちながら、一緒に居る。

もしも、ずっと一人で生きていたなら、今頃はどんな人間になっていたんだろうか。

毎日、良いことも嫌なことも起こり、その度に心を乱される。それを楽しめる時もあれば、感情のスイッチを切る時もある。

そういう心の振り幅、振幅を受け入れて楽しめる状態ではない、そんな日もある。

後から後悔するような選択だけはしたくない。
でも、どんな選択も受け入れられる自分でありたい。

今、ここに生きる。

改めて胸に刻んでおこう。大切な思い出と一緒に。

これが、今できる精一杯。

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