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もう幸せは見つからないと思っていたけど…

幸せは、遠くにあって求めるものじゃなく
幸せは、すぐ近くにあって見つけにくいもの


叶わないことを諦め嘆くのではなく
叶わないことすら楽しめる

たとえ、絶対に届かない想いがあっても
そう思ったこと、私自身は知っている

自分が輝けば、周りに勇気や希望を与えられる
でも、輝けない自分も素直に認めたい


色々な形の幸せを求めたけど
幸せに形は無いと気が付いた

目に見える幸せ、見て感じる幸せはある
素晴らしい絵画、綺麗な花、子供たちの成長した姿
愛らしい動物、大切な人の笑顔…

耳で聞こえる幸せ、聞いて感じる幸せもある
素晴らしい音楽、自然の奏でる音、子供たちの嬉しそうな声、ペットの甘えてくる鳴き声、皆の笑い声…

形ある幸せは、確かにある

でも、目や耳がなくなれば、幸せも無くなるのか…?
そのものの命が尽きれば、幸せも尽きるのか…?

今、見たこと
今、聞いたこと

もう、見ることのできないこと
もう、聞くことのできないこと

二度と感じることのない体温

これは、幸せを手放した事になるのだろうか?
失うことが、不幸なのか?

今、感じるあの頃の今

未来にも感じるであろう、あの頃の今

幸せを感じるのに、
五感は絶対必要、ではないのかもしれない。

生きていくために、物やお金や人などの形は必要
そこを避けては通れない、それが現実世界。

でも、幸せは何も無いところに、ただここに在る。
その幸せの存在を確かめ、自覚するためには
五感を駆使し人生を味わう必要があるのだろうと思う。

何も無いところに在る幸せを確かめるために
何か形の有るものとの比較が必要だから。

幸せの中で、夢を叶える挑戦はとても楽しい
そして、その結果叶えば嬉しい、叶わなくても幸せ

だって、叶わなくてもまた、挑戦する事が出来る。


今は声が届かない存在、別の世界にいる。
だけれども、あの子にもらった幸せは
今も確かに私のこころのなかに在る。

あの頃の今も、これからの今も、今の連続。

今、ここに生きる。

幸せを感じる心を、もっと養いたいと思う。

私が輝く事で、勇気や希望を受け取れる人がいる。

それが、私がやりたいこと。

あの子から、受け取ったことだから。

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