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このさき

最近ずっとこのさきのことについてぼんやりと考えている。
2冊目の本を作って、今のところ満足していて、じゃあ例えばまた本を作ろう、と思うとしてそのさきは?と思ってしまう。だらだらと何冊も何冊も在庫が捌けるかもわからない自費出版本を作り続けることが、私にとっての何になるだろう。
それで良いと思えないからぐるぐると先のことを考えてしまうのだろう。

かと言って、プロの道に進みたいのかと言われるとそれも微妙だ。賞なんかに応募して、プロに読んでもらう、評してもらう、というのはありだと思うけれど、そこからじゃあデビューしたいという気持ちがあるかと言われると、どうも微妙だ。

所詮私がこうやって何かを書いて人の目に留まるかもしれないところに投稿するのは、趣味の域を出ない。なら趣味として勝手にやっていれば良いじゃん、という話だけれど全く見向きもされないのであれば別にやらなくても良いかなと思ってしまう。わがままなのだ。
見てくれる人がずっと居続けてくれたとしても、やはり意味もなく本を作り続けるのは私のやりたいことではないような気もずっとしている。意味、というか自分の中で明確な理由があってこういうものを作りたい、と思えるのであれば私もそのまま制作を続けるだろうが、いまのところその明確さが私の中には無い。

じゃあ、このさき。
このさき私は書くことを続けて何になりたいだろう。
だらだらと作り続けることに意義は見出せていないけれど、書きたいものは私の中にある。それを、ひとまずは形にしてみようと思う。
どうしていくかはそれから。どうなりたいかも、それから。
何にもならなくても、書くことを続けてみたいだけなのかもしれない。
こういうことをぐるぐる、一人で考えていると終わりはないし、一人で考えているからこそこうやって燻ぶりやすい。そういうとき、なにもかもを捨てて辞めてしまいたくなる。辞めたって、悲しむ人はあんまりいないのだし。
いまはただ、そうやって燻ぶりながら手探りで進んでみようと思う。
なにかを見出せたら上々、挫けてしまったらそこまでだったということ。

漠然とした不安を書き出してみたら落ち着くかなと思って書いてみたけれど、自分のことがますますわからなくなるばかりだった。
続けていても、という自分とあきらめの悪い自分が交互に顔を出している。成り行きに身を任せてしまおうと思う。それでも。


気が向いたら、どうぞ。そこまでの感情にさせられたなら嬉しいです。