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文章を書くのが好きだったお話

 昔から、文章を書くのは好きだった。

 小学生のころは、夏休みに出される作文の宿題が楽しみだった。作文コンクールなんかは、自分から積極的に応募するほどじゃないけど、先生に声をかけられてやってみたりした、地区優秀賞をいただいた、わたしが貰った唯一自慢の賞状と、無駄に立派な盾。賞状は額縁に入れられて客間に飾られている、今でも、たぶん。盾は箱の中に仕舞われたまま、わたしの学習机のいちばん下の引き出しの奥で眠ったまま。逆じゃないかと思うけど、そういう家だ。

 中学校では毎年、わたしの書いた文章が生徒会誌に載っていた。文芸部にでも入ったのかというと、そういうわけでもない。1年生の時、学級委員として1年2組の紹介文を書いた、気がする。2年生、3年生、わたしは生徒会役員だった。会計という名の事務、裏方。わたしの名前が表に出ることはほとんどなかったけれど、生徒集会で全校生徒を心地よい眠りに導くアナウンスをお届けしたり、たいていの読者が一瞥して(一瞥すらくれないかもしれない)、そして投げるであろう生徒会誌の編集後記を2年間書いたり、そんなことをしていた。

 さてさて高校生。例にもよって生徒会誌を書いておりました。今回は、出版委員会委員長。誰もやりたがらなかったから、というだけの理由で入った出版委員会。放課後の会議、早く帰りたかったから、というだけの理由で立候補した委員長。動機はあれだけど、仕事はやった。文化祭で教室を借りて学校の沿革についての展示を出してみたり(閑古鳥が鳴いていたが、OGのマダムには大好評だった)、写真部に依頼して撮ってもらった校内のスナップをまとめた特集を組んだり、我ながら悪くなかったと思う。編集後記も、もちろん書いた。これはわりかし力作で、周囲からの評判も良かった。「感動した、泣きそうになった」と感想を伝えに来てくれたクラスメイト、今では親友と呼びたいくらいの間柄だ。

 わたしの成績は悪くはなかった。評定平均4.7、当たり前のように受けた推薦入試、小論文。結果は不合格。

 結局、一般入試で入った大学は、模試の第四希望あたりにちょろっと書いては毎回A判定を頂いていたようなところで、若干くすぶりつつも現役で国公立入れたから悪くないべと自分を納得させた。わりと納得している。

 ところで、わたし理系なんですよ、工学部。電気系。今年で2年生になります。なりました。

 大学に入ってから、まともに文章を書くことがほとんどなかった。少なくとも、工学部1年生は、自由履修で選んだ人文や教育国語の先生の授業で課されるレポートくらい。せっかく買ってもらったパソコン、Wordを開くのは英語のレポートを書くときだけかもしれない。文章を書くのが好きなのに、こんなに時間があるのに、何もしないのはもったいないような気がして、今まで読む専門だったnoteを登録した。

 わたしは何度も「文章を書くのが好き」と書いてきたけど、わたしの文章は決して上手ではないと思っている。下手の横好き。これに尽きる。上手かったら推薦入試は通っていてもよさそうだし、そもそも理系に来ていないような気もする。閑話休題、自己満足で書いた文章の記録だから下手な文章だけどそのまま投稿する。気にしていたら下書きだけが何件も溜まるだけで、ついに1つも投稿できないまま大学生活が終わりそうな気すらしている。

 最後に1つ、文章が下手な人のあるあるなのかもしれないけど、書き始めた文章を終わらせることがとても下手なのだ。もしかしたら後片付けが苦手な性格は文章においても同じなのかもしれない。勘弁してほしい。

 よろしくお願いします。まのです。


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