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「ワクチン打つ、打たない?」

スイスのワクチン接種率は8月31日時点で57.88パーセント(一回接種済み)。思ったより低い。二回接種完了はさらに低く、51.76パーセント。

ざっくりと、二人に一人ちょっとくらいしかワクチン接種をしていない、というのがこの国の現実。ワクチンは十分に供給されており、接種会場はもう何週間もガラ空き、ということをみれば、これから劇的に接種率が上がるとも思えない。疾患、アレルギー、その他の理由で「接種したくてもできない人」を除く大半は、「積極的な意思で接種しないことを選び取った人たち」であることは容易に想像つく。

先日、久しぶりに家にお客さんをよんだ。コロナ蟄居で招いたり招かれたりということが激減してしまい、すっかり勘が鈍ってしまって準備にもたついたことにはいささかがっかりしたが、それでも老若男女10人で囲んだ賑やかな夕餉の時は、気持ちに張りも出て、とても楽しかった。

その席上、なんとなく話題がコロナの方向にいきがちなのは、これはもう致し方ない。

まずは夫側の家族を訪ねたスウェーデンでの休暇から戻ったばかりのローラ。

「噂には聞いてたけど、あの国にはコロナなんて存在しないって感じだったわよ。マスクなんてしてるの、私とオスカー(ローラの夫)だけ。ハグもキスもごく普通。ディスタンス? ワクチンパス? なんですかそれって感じ」

「へえーそうなんだ。で、そんな感じでずっとやってきて、結果、大差はあったんだろうか、そうでもなかったんだろうか?」

そう私が尋ね終えるか終えないかのタイミングで、ハンナが横から割って入る。

「もちろん全く差はなかったんでしょ」

(え、そう? と私はややひるむ)

「いや、さすがにそんなことはなく、初期の頃、それはそれはたくさんのお年寄りが亡くなったわね。感染してる介護者が老人ホームに普通に勤めてて、そこからホーム全体に感染して、ほぼ全員亡くなった、というような衝撃的なケースも結構あったって聞いた」

ああ、やっぱりそうか。だが、横のハンナは全然納得していない様子。そのハンナがワクチン接種をしていないだろうことは聞かなくともわかる。なぜなら、こんなことを言うから。

「フランスみたいにスイスでも医療従事者へのワクチン接種義務が課せられたなら、私は即座に治療院を閉じるわね」

ハンナは自然療法の一分野の有資格者で、一人で治療院を運営している。長年来の固定患者さんもいれば、新規の患者さんもいて、治療院はなかなか繁盛している。自分の仕事に誇りを持ち、生きがいも感じている。より良い施術者になるjための勉強も続けている。なのにハンナにとってはその看板を下ろす方が、ワクチンを打つよりずっとマシなことなのだ。

「私のところにやってくる患者さんがワクチンを打ってるか打ってないか、それはその人から発せられる気によって、わかる。打ってる人は多かれ少なかれ病んでるもの」

私とローラはちらりと目を合わせる。

「そもそも、とてもいい治療薬がもうとっくに開発されている。それで重症患者も十分、治せるのよ。だけど、その情報を政府は隠してるでしょう。流通させたくないのね」

ハンナの声が次第に高ぶったものになってくる。「わなわなとしてくる」スイッチがどこかで入ってしまったことがわかる。

ローラの滑らかな誘導で、けれど話題は自然に他のことに移り、宴の残り時間はとてもリラックスした楽しいものとなった。それでも私は、長年、親しくしてきたハンナとの「距離」を「再び」感じずにはいられなかった。

もともと環境問題や人権問題に熱心な人だった。それが高じて、夫君と一緒にオーストリアの田舎に農場を買ったばかり。そこでパーマカルチャーによる自給自足生活を始めることに決めたそうだ。コロナ勃発当初より、マスク着用その他、政治が個人の自由を制限する方向で強権を発動することに彼女が強い抵抗を感じてきたことも私は知っている。ドイツでコロナ対策への大規模な抗議デモがあった時に、「私の友人たちも多く参加したわ」と言ったハンナ。「赤ちゃん連れの人、お年寄り、ゲイのカップル、アーチストたち。みんな平和的にデモをした。でもメディアはそう言う人たちの映像は見せずに、過激なネオナチの絵柄ばかりを出すでしょう。情報操作よね」

そう、あの頃からだった、ハンナとの微妙な距離を感じ始めたのは。

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それぞれの事情、それぞれの理由

アメリカでリアリティTVのキャスティングの仕事をしている息子によると、せっかくファイナリストまで残ったのに、ワクチン未接種がネックになってキャストされない人が「黒人の候補者」にとても多いのだそう。

「ざっくり言って、10人中、9人くらいは未接種。で、番組側からワクチン接種を強制することもしにくいので、まあやんわりと、接種する予定はあるのかと聞いてみたりするんだけど、これがきっぱりとノーなんだな、だいたい」

「自分の周りの人(主に白人だと思う)はほぼ、みんなワクチン接種をしていて、そんなもんだと思っていたから、別の人種グループが揃ってここまで抵抗感を持っていることは驚きだったし、ちょっと別世界のように感じた」とも言う。

「しかもそれ、貧富、教育程度、職業、政治信条なんかを縦断する人種グループ共通の傾向だからね」

人種とは違うけれど、エスニシティグループということで言えば、スイスにももちろんそれはある。今、スイスの病院の集中治療室はバルカン人口でほぼ占められているような状態なのだと聞く。コソボ、アルバニア、クロアチア・・・・。ユーゴ紛争時にたくさんの難民がバルカン地域からスイスにやってきて、今はその二世代目、三世代目が大人になり、スイスドイツ語もすっかり身につけ、スイス社会に同化して暮らしている。その彼らの間でワクチン接種率が極めて低いのだという。上記アメリカの黒人コミュニティ同様「仲間内の情報」「コミュニティの同調圧力」などがそうした傾向を促すのだろう。そんな彼ら、未接種の状態で夏休みには親戚や祖父母のいるバルカンの国へと休暇に出かけ、そこで感染して戻ってきて病院行き。そんなパターンが非常に多いのだとか。

旧共産圏の国々では、ワクチン供給は足りていても接種率が一向に上がらないという話も聞いた。共産独裁政権時代のワクチン強制トラウマ、今だ根強く、政府への不信感が強いせいであるところへ持ってきて、宗教関係者あたりはわかるとして、医療従事者の多くもワクチン反対派だったりするらしい。お医者様だって反対なのだから、と、ますます人はワクチンに不信感を抱く。ところ変われば、理由もまた様々。色々な事情で人は「打ちたくない」のだ。

スイス全体でもそうだが、私の暮らす町、チューリッヒ一つとっても、エリアによって接種率には随分大きな違いがある。Goldküste (ゴールドコースト)と呼ばれる「富裕層」が多く住むエリアの町は軒並み65パーセントから70パーセント超えなのに対し、農家が多いオーバーランドでは30パーセントを切るところも。チューリッヒ市は全体としては高い接種率だけれど、移民人口が集中するエリアは、そこだけガタンと率が下がる。

個人的に周りの人の多くは接種済みで、それだけ見ていると9割くらい、という印象だけれど、それはやはり私が街中に住み、ホワイトカラーの友人知人が多いせいもあるだろう。自分の見ている世界が、イコール本当の世界でないことを、ここでも肝に銘じておく必要があるのだ、と痛感する。

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誰が「打ちたくない」のか

非常に大雑把に言って、スイスおよびその近郊欧州圏での観察に基けば、ワクチン反対派は3つのグループに分かれる。

一つは、政治的右派〜極右、あるいは宗教右派。キーワードは小さな政府、愛国、移民反対、伝統的価値観、アメリカだと銃規制反対、自由、基本的人権・・・・などなど。

もう一つは、政治的最左翼やグリーン派。キーワードは環境、人権、基本的人権、自由、自然療法、ヴェジタリアン、ヴェーガン、オーガニック、シュタイナー教育・・・・などなど。

そして三つ目が、特定の人種やエスニシティグループ、移民人口など。キーワードは誇り、帰属、マイノリティ、低学歴、低収入、エセンシャルワーカー、ブルーカラー・・・・などなど。

これらキーワードはあくまで傾向であり、全部が当てはまる人もいれば、一つしか当てはまらない人もいるといった程度のもの。私自身は基本的に、個人の選択は尊重しましょう、という立場だし、疾患やアレルギー等の理由でワクチン接種できない人たちを「ワクチンパス」というもので排除してしまう構図は感心できないなと思う。

その一方で、一定の割合以上に接種が進まなければ、疫病を封じ込めることが難しいという理屈はよくわかるので、今回ばかりは公衆衛生、その「公衆」というところに免じて「個人の自由」をちょっとばかり我慢してもらうわけにはいかないだろうか、という気持ちもある。公が個を凌駕して支配する先には全体主義的なものや独裁的、強権的な社会が地続きで待ち伏せていることを十分承知した上で、「今回ばかりは」と思うのだ。

それにしても、ただでさえ、分断ばかりが進むこの世界で、またもやワクチン接種への態度による新たな分断か、と暗澹とした気持ちになる。分断というほどの強烈なものでなくとも、この件に関して、近しい交友関係の中に(どっち方向だとしても)「気まずさ」や「困惑」、「驚き」の思いを抱いたことのない人は少ないのではないか。

つくづく厄介な疫病だ。


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