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開かない扉

マイナス10度くらいの寒さが続くチューリッヒ。相変わらず、店々は閉まっているし、人との集まりも確か5人以上は原則、禁止の日々。その上、急な坂道に四方を取り囲まれるところに住んでいるため、あちこち凍って滑りやすく、うかうか散歩にも出られない。ほぼ引きこもり状態で生きているが、にもかかわらず、花粉症は律儀にやってくる。雪空の下、凍りついた木々の一体どこから花粉が飛び出してきて締め切った家の中にまで侵入してくるのか。窓の外の雪景色を眺める目が痒くてたまらない。

2019年の秋頃だったか、重い腰を上げて始めてみたスイスドイツ語クラスはコロナ禍にあってもオンラインで細々と続行中。生徒は私とハンガリー人女性二人。対面で最後に彼女たちに会ったのが、そういえばちょうど一年くらい前のこんな寒い時期だった。レッスンは最初は二週間に一度、コロナでオンラインになってからは週に一度、一時間。そのペースではなかなか上達しないから少々もどかしいけれど、それでも人とのコンタクトが極端に少ない日々、スクリーン越しに彼女たちに会うのをどこか心待ちにしている自分がいる。

その一人、ワンダさんから先週、メールが来た。私ともう一人の生徒、カティ、そしてニック先生に宛てた一斉メール。

「明日のレッスンは都合により欠席します。来週は行けると思います。ごめんなさい」

工科大学のどこかのラボで仕事をしている上に、子供が三人。急に都合が悪くなることもそりゃあるだろう、と、私はさして気にもとめなかった。

一週空いて昨日のレッスンに、そのワンダさんが元気な笑顔で復活。

「ちょっとお知らせがあります」

え、なになに? いい知らせ?

「そうですね、わりといい知らせ」

「ノーベル賞?」と冗談交じりに私が尋ねると、横で少しニヤニヤしながらカティさんが「ほとんどそれに匹敵する知らせ」と言うではないか。えーなんなのよ、そのノーベル賞級のニュースって、とこちらはコンピューターに向かって体が思わず前のめりになる。

「ちょっとお待ちを」

そう言ってワンダさん、コンピューターを持ち上げ、部屋の中を動き始めた。本棚とか、カーテンとか、普段は見えないその部屋の様子がぐるぐる回って映し出される。グーグル社にお勤めだとかいうコンピューターサイエンス専門の夫君が「アンチ新しいコンピューター」派なのだそうで(世の中、しばしばそうしたものだ)、ワンダのコンピューターは齢10年超だとか。今どき、これは相当な高齢だ。たぶんマイクやカメラも外付けなのだろう、レッスン中、しばしばズームへのアクセスに支障があったり、音声が今ひとつクリアでなかったりするが、案の定、その朝もせっかく映し出される室内の様子が霧がかかったようであまりはっきりしない。アングルが下の方に下がり、何かもふもふしたものが見える。ベージュの毛布か敷物のようなもの。

「あ、わかった、犬?」

私のその一言に、カティとニックが爆笑する。二人は答えを知っていて私だけ知らないのか?

ようやくスクリーンが動くのをやめ、画面の焦点が少し定まってきたその時に薄暗いもふもふの中に浮かび上がって見えたもの。それはなんと、


人間の赤ちゃん!


「D lätzti Woche hani s Baby übercho」とワンダ。

「先週、赤ちゃんを入手しました」って、それは一体どういう????

養子でも迎えたのか? いや、誰か友達の赤ちゃんをしばらく預かる、とか、そういうシチュエーションだってなくはないだろう、お母さんがコロナに罹患して、急に赤ちゃんの世話ができなくなるとか、十分ありうる。それとも、もしや孫? いや一番上のお嬢さん、確かまだギムナジウムに入ったばかりといってからそれはないか。私の頭の中にはいく通りもの「可能性シナリオ」がぐるぐると旋回する。

「元気で生まれてきてくれて、とにかくよかった」

え?

「Bisch .........schwanger ksi---?」(妊娠してた・・・の?)」

と思わず間抜け顔で尋ねる私。

「それ以外に、どういう方法が?」

と吹き出す先生。

「そうよ。予定日より一週間ほど早い誕生でした。名前はペーター。よろしくね」

唖然。

確か三週間くらい前だったか、レッスン冒頭の「おしゃべりタイム」に先生がワンダに「今朝もジョギングをしましたか?」と尋ねた。痩身ショートヘアのワンダはジョギングを好んでする人。それは我らの間では長らく周知の事実だが、クラスが始まるのは朝の8時。冬の8時はまだ暗い。しかもその前に三人の子供を学校に送り出すとか色々あるんだろうし、戻ったら戻ったでシャワー浴びたりもしなくちゃいけないんだろうし、まさかそんな早くにそれはないだろう、と思いきや、「はい。今朝も一走りしてきました」とこともなげに答えたワンダ。それだけでも私には驚きだったが、今にして思えば、あの朝のワンダはもう、いつ陣痛が始まってもおかしくない臨月期でもあったのだった。

そもそもこの9ヶ月、夏休みやクリスマス休暇などを除き、ほぼ毎週、朝の時間を一緒に過ごしてきた彼女が身重だったことを全く知らなかったということ自体、ちょっと衝撃だ。ズームで会うのは上半身だけ、しかも先方の古いコンピューターのせいで、画像はいつもぼんやりだったとはいえ、会話のどこかに何かヒントになるような断片は紛れ込んでいなかったのだろうか。

「その後、調子はどう?」と、事情をある時期から知っていたはずのカティや先生がワンダに尋ねたとして、「ちょっと疲れやすいけど、まあ元気」と彼女が答える。そんなことはあったかもしれない。けれど、事情を知らない私は、そのやりとりに「身重」という前提があったとは一度たりとも察知できなかった。コロナでてんてこ舞いになっているであろう病院に、ひょいと出かけていって、レッスンを一回だけお休みして、身二つになってケロリとした顔で戻ってきたワンダ。ケロリ、どころか、彼女の顔はいつも以上に晴れやかで、そしてとてもゆったりとくつろいでいるようにさえ見えた。

リアルで人と会わず、旅もせず、外食もせず。そして窓から見える雪に包まれた曇りがちの景色は文字通り、ほぼモノクロ。そんな時間がどんどん長引く中、ちょっといいパンチを食らったような朝だった。

そのポジティブパンチのおかげだろうか。さて、たまには出かけるか。珍しくそんな元気も出たので手袋から帽子までの完全防備で家の前の急勾配の坂道を滑らぬようにゆっくり登り、路上に数日放置してあった車まで到着。さあドアを開けようと思ったところが、ガチガチに凍っていて開かないのですね、これが。四つあるドアを全部試してみたけれど全滅。鍵で窓枠のあたりをガリガリ押したり引っ掻いたり、腰が抜けそうになる程ドアを引っ張ったり、雪靴で蹴っ飛ばしてみたりなど色々試したけれどやっぱり開かない。手袋の中の手も凍え、耳も鼻も寒さで痛くなっくる。

まったくね。

結局、魔法瓶に入れたお湯を持って出直して、それをドアの縁に沿って垂らしてやっと開きました!

ああそれにしても、曇天続きの昨今、青い空を見るのは何日ぶりだったか。車で少し走ってから、そのあたりを散歩。寒かったけれど、パンチが効いてるせいか、なんとなく足取りが軽やかになる。軽やかついでに、食品の買い出しに加え、思わず花など買って帰る。

買い物荷物を抱え、あーさむさむ、と帰宅してみたならば、あらびっくり。昨日まで絶対にそこになかったピンクの花が窓辺のテーブルの上でいきなり鮮やかに開花しているではありませんか!

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クリスマスごろに開花することから「クリスマスサボテン」という名だそうだが、2年前のクリスマスに友人にいただいて以来、生きてはいる様子だけれどクリスマスが近づいても開花の気配も見せず、ああ、残念、と思うこと2度。赤ちゃん誕生の知らせと同時に2年ぶりに花を咲かせるなんて、あなた、なんてお利口なの、と思わず口元がほころぶ。そしてそういえばここしばらく、病や死や老に関わるニュースにばかり触れがちだったことに改めて気がつく。

スイスで春までに希望者全員に行き渡るはずだったワクチンは、供給が大幅に遅れているとかでまずは夏に延期、今やそれも怪しいそうだ。七月に予定されていえた娘の大学(英国)の卒業式は早くも中止のお知らせ。日本のオリンピック協会会長さんの例の発言はこちらでも大きな驚きとともに報道されていた。

そんな日々の中、椅子からひっくり返りそうになった新しい命の誕生の知らせ。これを機に、凍りついたドアがゆっくりと開くように、春の訪れとともに色々な緊張が緩み、人々の表情に少し明るさが戻ると本当にいいのにな、と思う。たまに家を花で満たし(この「たまに」というところが「美しい暮らし」的なものからの遠い距離を感じさせ、我ながらやや残念 笑)、美味しいお酒でも舐めながら、まあなんとかやっていきましょう。

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