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「感染者叩き」は伝統なのか、文化なのか、一時的現象なのか(コロナ第二波の欧州より②)

コロナ第二波の中に生きている欧州組の私たち。そんな中の一人、一回り年下の友人Sさんに「もうこれが当面最後になるかもねえ」と言いながら街中の店で会った時(かれこれ二週間ほど前)。

「日本に行かないの?」

毎年、少なくとも2回くらい日本のご実家に里帰りしているSさんにそう尋ねたところ、

「ありえません」ときっぱり。

「この感覚、分かっていただけるかなあ。何しろうちは田舎でしょう。今、私が子連れで母のところに帰るとするじゃないですか。たちまち村じゅうに私たちの帰国が知れ渡り、母に迷惑がかかることは目に見えている。だから絶対、帰れません」

私たち「国外組」は、日本のパスポートを持っていれば今でも一応、日本には渡航できるが、入国と同時に二週間の隔離が義務付けられている。つまり、少なくとも二週間以上は滞在する旅程を組まないと意味がないので、そこがなかなか難しい。その上、日本は相手の居住地でなく「国籍」によって入国の是非を決めるため、本人はパスポートを持っていても国際結婚の家族(配偶者や子供など)が持っていなければ、家族一緒に入国することは不可能。日本在住の「外国籍の人たち」にもそれが当てはまるため、何かの事情(親族のお葬式とか)で祖国に戻った人が再入国できない問題については随分あちこちで見聞きした。まあそのような諸々の事情があり、「今、日本へ行く」という選択を、多くの人は取れないでいる。たとえ日本に高齢の親がいようが、親族のお葬式があろうが、仕事の都合があろうが、ともかく「二週間隔離」の壁は厚い。

その「厚い壁」をさらに厚くするのが、冒頭のSさんの証言にあるような「世間の壁」というものだ。「外国帰り」に投げかけられる無数の視線。ささやかれるひそひそ声。地図上の日本列島の周りに分厚い要塞がそびえ立っているような印象が、今、どうしてもぬぐえないのである。

初めての、オンライン読書会

そんなある日、とあるオンライン読書会に参加した。取り上げられた本は『コロナ後の世界を生きる』(村上陽一郎編 岩波新書)。主催は自由と平和のための京大有志の会。著者のうちの4人、そして編集担当の方3人も参加され、著者、読者、編集者の三者がオンラインで場を共有し、自由に感想や質問や意見を述べることのできる、親密にして大変、刺激的で貴重な機会だった。

コロナに向き合う態度における「彼我の温度差」という観点から冒頭のSさんのエピソードを私が紹介すると、進行役の細身和之さんがこんなことをおっしゃった(メモも取っておらず、記憶に頼るのみなので、一部、誤解や不正確があったらごめんなさい。以下、同)。

「僕もいわゆる田舎出身なんですが、どこそこの家で感染者が出たらあっという間に噂が広がってそこにバッシングがいく。手紙が投げ込まれたとか、壁に落書きされたとか。で、一体、そこはどこの家なんだ、ということになると、それが事実としてはなかなか出てこない。つまり噂なんですね。しかしその噂を耳にして、ああ、さもありなん、と我々はすぐに納得してしまう。ああ、ひどいことだ、でもそういうことは当然起きうるだろう、と誰もがイメージする。事実そのものもそうですが、噂がいかにもありそうなこと、として受容され、消費される。そういう心理状態に我々があるということなんですね」

私自身はSさんの話を聞いて「ああ、さもありなん」とは逆に思えず、嘘でしょ、そこまで大変なの? とただただ驚いた口だったが、それはおそらく国外暮らしが長すぎるせいもあり、また長らく帰国ができておらず「温度」や「空気」、つまり身体感覚的な日本のアップデートができていないせいもあるのだろう。

読書会に参加されていた著者の一人、根本美作子さんによれば、

「大学で学生たちに自粛をする際の最大の理由は何か、というアンケートをとってみたことがあった。①自分を感染から守るため ②他者を感染から守るため ③世間の目が怖いから 結果は、圧倒的に③と答える人が多かった」

とのことである。それに呼応するように、参加者の一人の学生さんが「僕が自粛する理由の一つ目は、やはり世間の目ですね。あとは親が教師をしており、何かあったら大変だから絶対、ちゃんと振る舞うように、と厳しく釘をささされたこと」とおっしゃっていたのも印象的だった。

社会は危機の時代に馬脚を露わす

感染したら「隠す」。本人が隠し、その人が勤める会社がそれを隠し、周りの家族がそれを隠す。なぜなら、世間から叩かれるから。

医療従事者の家族がタクシー乗車を拒否され、登校を拒否される。

どこそこにクラスター発生と聞けば、「あら、やあねえ」「あら怖い」と、まるでそこ自体が「バイキン」であるかのような反応をする(らしい)世間。

やはり同じ読書会に参加していた若い学生さんが「感染した人って、本当は可哀想じゃないですか。気の毒な人なわけじゃないですか。だって病人なんだから。なのにその本人が謝ったり、隠したり、罪悪感を持ったりするっておかしくないですか?」と絞り出すように発言されていた。

そりゃそうだよ、おかしいよ、ともちろん私も思う。何しろこちら、強烈な第二波だ。家族、友人、職場の同僚など、身近なところに感染者がいない人など、もはや誰もいないだろう。けれど、誰かが感染したと聞いて、真っ先に、そして唯一、出てくる反応は「ああお気の毒に。早く治りますように」。この部分では、まずほとんど例外がない。そういう社会の中でこのコロナ禍を迎えられた(あえて「迎えられた」という)ことは、緊張を強いられる大変な時間の中でのせめてもの慰みだ、とつくづく思う。

その上で、じゃあ、なぜ日本だけそうなっちゃうのか、ということを考えてみる。もちろん、私が知っている「日本以外の例」は、スイス、及び国境を接したその周辺国。そして子供や兄弟などが暮らす米国やイギリスくらいしかないので、大したことはいえないけれど、これらの例に限っていえば、確かに日本の「感染者叩き」あるいは「被患者の罪悪感」という現象は、とても「例外的」な景色のように思われる。

上記書籍のやはり著者の一人である藤原辰史さんがおっしゃるのは「社会は危機の時代に馬脚を露わす」。その馬脚が、欧州の場合は例えば「民主主義や個人主義という足かせによる危機対応の効率の悪さ」ということになり、一方、日本では「感染者(=つまり弱者)叩きメンタル」ということになるだろうか。

「患者叩き」というウィルス、「自粛警察」というウィルス

「自己責任」という嫌な言葉がある。私が日本に住んでいた頃にはなかった言葉(強いて言えば「自業自得」か)。いや、言葉としてはあったのかもしれないが、それが今ほど頻繁に大量に人口に膾炙していなかったことは確かだ。白状すると、だが私自身、大昔、パリでフランス語を勉強していた頃、méritocratieという単語を覚えたときは思わず膝を打ったものだった。元々は英国の社会学者が用いた英語のmeritocracyが起源の比較的新しい言葉(初出は1959年)らしいが、日本語でいうと「能力主義」。出自や貧富の差などによらぬ実力本位(の社会)のあり方をこう呼ぶ、と知った20代の私は、そりゃそうだよね、と実にあっさり納得したものだった。「実力本位」のその実力にしてからが、偶然の賜物に負う部分が非常に大きいということには全く思いが至っていなかったのだ。もちろんここでいう実力には「働かざるもの者、食うべからず」、つまり「努力」や「労力」も含まれているが、世の中は努力したってうまくいかないことだらけし、そもそも努力できるだけの体力や忍耐そのものが遺伝子や生育環境という「偶然」の産物。そのことをちっとも分かっていなかった。その背景には、なんか自分ばかりが仕事量増えてるんですけど、仕事が早くて上手であればあるほど、なんだか損するみたい、という元の職場で感じた幼い不公平感に基づいていた部分もあったのかもしれない。

ウイルスは元来が平等なはずである。国籍や性別や職業で選んでやってくるわけじゃない。たまたまそこにいた人の体内に入り、たまたまその日のその人の免疫が少し弱めだったり、たまたまその日のウイルスの数が大量だったり力が強かったりするときに、良い場所を得たとばかりに増殖するだけの話だ。たまたま今回のウイルスは子供には感染しにくいとか、高齢者に猛威を振るうとか言った特徴はあるけれど、それでも例外はある。感染したことは「運が悪いこと」だったに過ぎない。

弱者(貧困、病苦、マイノリティなどなど)の存在の背景には、そうしたものを生み出す「構造」がある、という話はまあよくわかるしその通りだと思うけれど、構造プラス、もう一つ、「単なる偶然」というファクターの前に、人はもっと謙虚になるべきだろう。それが「単なる偶然」であるからには、何事も明日は我が身でもある。

ウィルスはウィルスだけれど、ウィルスに感染した人はウィルスではない。ウィルスがただその人に宿っているだけの話。なのにそれをバイ菌みたいに眺める。そういう視線について今、再考せずにいつ再考するのか。

感染者叩きは、あるいは自粛警察は伝統なのか、文化なのか、一時的現象なのか、と表題に掲げた。それに対する私自身の答えは「一時的現象であってほしい」というところに尽きる。民主主義や個人主義と感染対策の徹底とのジレンマに苦しむ欧州にも、かつて感染者叩きはあったし、弱者イジメもあった。14世紀の黒死病時代のユダヤ人大虐殺(井戸に毒を入れたという「噂」からそれは始まった)などはその典型的な歴史の記憶だ。前世紀末にエイズが世界を席巻した時、今では考えられないけれど、欧米で相当な同性愛者バッシングが起きた。なかなかうまくいかないものの、人類は、それでもなんとか歴史に学ぼうとしてきた。その姿勢のおかげで「マシになったこと」だって随分あるのだ。日本の伝統や文化の中で、美しいもの、素晴らしいもの、人間の幸福に寄与しうるもの、生活を潤わせ、人々を楽しくしてくれるものは大切に守り育み、後世に伝えていけばいい。逆に一時的に「おかしくなっている点」は都度、問題視して修正していけばいい。

社会が危機の時代に馬脚を露わすのであれば、今は、その馬脚そのものについてじっくりと考えるまたとない機会。まずは、感染しても謝らないでください。著名人の方が感染発表をなさる際に「感染した事実」だけを淡々と伝え、最後に常套句みたいな「大変ご迷惑をおかけして云々」で締めくくらないでいただきたい。雇用主は運悪く感染してしまった従業員に「しっかり休んでね。お大事に」と言っていたわり労って欲しい。お父さんやお母さんは「〇〇さん、お気の毒だね。早く治るといいね。なんか手伝えることなるかな」とお子さんに言って欲しい。そしてメディアは「〇〇でクラスター発見」という、あたかもそこが(安全なこっちとは違う)「バイキン界」であるかのような「ものの伝え方」をやめて欲しい。そんな小さな工夫の積み重ねによって、今、日本を覆っている「感染者叩き」というウィルスの感染拡大を食い止めることは、まだ可能だと思う。

・・・と、こんなことをあれこれ書くのも、長らく帰れないでいる祖国への望郷の念、そこに暮らす大好きな人たち、美しい風景や季節の風味、細やかな気遣いや親しい言葉への懐かしい思いが募っているからなのです。

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