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♯ペンシルヴァニア2020

アメリカの大統領選・最終投票日からバイデン氏の勝利が確定するまでの4日間、普段滅多に見ないテレビをほぼ付けっ放しで暮らすという異常事態が続いた。選挙そのものについてはたくさんの方が様々な論評をされており、今さら私から付け加えることも特にない。

ただ一つ、極めて個人的なことを少しだけ。

ウィスコンシン、ミシガン、と、前回、トランプ候補にひっくり返された伝統的な民主党基盤の州が、今回、また逆転して青になったあたりから、人々の注目が俄然、ペンシルヴァニア州に集まり始めた。まだ結果がわからない重要な州のすべて(アリゾナ、ネヴァダ、ジョージア)でバイデンが負けたとしても、ペンシルヴァニア一州を取れば選挙人が過半数の270を超え勝利確定、という「算数」がなんども繰り返され、そして遅々として進まぬ同州の開票続報を世界中が固唾を飲んで見守る、という状況になったからだ。

実は私、元・ペンシルヴァニア州の住民。地理的にど真ん中に位置するステートカレッジという大学町に2年間住んだことがあり、故にあのあたり(といってもべらぼうにでかいのだが)の土地勘というか、雰囲気のイメージというか、そういうものが多少はある。

ペンシルヴァニア州はいわゆる「スウィングステート」の一つ。選挙人が20人と多い上に、赤と青の差が少ないため、ここがどっちに転ぶかが全体の趨勢に多大な影響をもたらす、そういう場所(少なくともここ数回に関しては)。そして開票速報の地図で何度も示されていたように、赤い絨毯の上に三つほど、青いスポットが点在する。そのスポットのうち最大なのが東部のフィラデルフィアとその周辺。二番目が西部のピッツバークとその周辺。いずれも大きな都市で、コロナの影響で郵送投票の数が膨大であった上に、ペンシルヴァニア独自の決まりで郵送投票分は投票最終日以前にはカウントしない、ということになっているため、開票の後半になってこの郵送分、とりわけこの二つのスポットにおける郵送分がボコン、ボコンと大きな数で入ってくる、しかもその大半はコロナを真面目に捉えて郵送投票という手段を選んだ民主党支持者という状況が重なるため、「いやこれはひょっとして逆転もありうるかも」→「おそらく逆転するだろう」→「間違いなく逆転するだろう」、というふうに人々の見積もりがどんどんバイデン有利の方向に向かう一方、トランプ側からは「不正」をほのめかす大統領本人のツイート、街頭やSNS上での支持者たちの同調の声が拡散。「ペンシルヴァニでのカウントをストップせよ」という大統領のツイートやペンシルヴァニアの選挙制度の違法性を訴える訴訟まで起こる騒ぎに。

そうこうするうちにとうとう逆転。そして票差はバイデン優位の方向に伸びるばかり、という流れになり、最終的には昨日(11月7日)、東部時間の午前中にペンシルヴァニアでのバイデン勝利をCNNをはじめ、報道機関が次々と打ち出し、残りの他州の結果を待つことなく、次期大統領が確定した。ここに至るまでの一連の流れは、まず何よりもドキドキハラハラの最高サスペンスで、どんなスポーツ観戦より、どんな賭け事より、どんなゲームよりも面白かったというのがまず一つ。

と同時に、ペンシルヴァニアへの注目が集まるにつれ、「元住民」としての奇妙な責任感のような感情が自分の中に芽生えてきたこと。これが個人的にはかなり注目に値する事象ではあった。

もともと私は国でも街でも人種でもジェンダーでも宗教でも、あるいは家族にしたところで、「集団」への帰属意識が淡白な方の人間である。「うち」と「外」という無条件な線引きに幼少時代から違和感があり、長じるにつれ、それを批判的、分析的に眺める癖がすっかりと身についてしまった。属するグループよりはAさん、Bさんという個人にフォーカスする人間観と心中するようにして生きてきたのである。

そうであればこそ、ペンシルヴァニアをまるで「身内」のように感じるこの数日は興味深いとともに、実はかすかにショックでもあった。

ヒルビリーとアーミッシュに囲まれた日常

さて、上記の三つのスポットのうちの、誰にも言及されることのなかった非常に地味な三つめの青い点。そこが私が暮らしていたセンターカウンティという郡。その真ん中にアメフトでつとに有名な巨大な州立大学、ペンステート大学がある。キャンパス周辺にはカフェや本屋さん、学生の下宿といった、ささやかだけれどアメリカのどこにでもある普通の大学街らしい景色が広がる長閑なエリアだ。だがそこから一歩外に出れば、かつて鉄鋼産業で栄えたけれど、その後、すっかり廃れてしまった町々がある。栄華を極めた時代の名残であるヴィクトリア様式の豪邸のペンキは剥がれ、鉄道の駅は無人。ホームの脇には人の背丈ほどのぺんぺん草。錆びついた工場跡とか、バラック小屋のようなモバイル住宅など、そこには私の知らなかった「アメリカのもう一つの顔」があった。靴も履かずに路上でぼんやり佇む人たちのライフスタイルや心の中を想像してみることは正直なところ、容易ではなかった。「ヒルビリー」という英語の言葉を覚えたのもその「本物」を実際に目にしたこの時代のことだった。

こうした町々の間にはどこまでも平坦な広大な土地が広がる。トウモロコシ畑の脇には山盛りのトウモロコシが「一山1ドル」で売られていたりした。そんな中に点在するのがアーミッシュの村落。映画「目撃者」に出てくるのとそっくりな人たちが、馬車に乗り、サスペンダーで吊ったズボンを履き、くるぶしまでのスカートにエプロンをして畑仕事や家事に勤しんでいた。手洗いされた洗濯物が風にたなびき、夜になればオイルランプの光以外は漆黒の闇が広がっていた。そんな彼らに一度取材をしたことがあったけれど、写真を撮ってもいいですか、と尋ねると、それまで穏やかだったその人の顔が急に険しくなり、「写真を撮られることは虚栄心につながります。それは神がお許しにならない。ですからご遠慮ください」ときっぱり。20年以上の時間を経ても決して忘れることのない声音であり、表情であった。

大学からアーミッシュまで、様々なタイプの住民を抱えるセンターカウンティは、しかし大学の規模ゆえだろう、だいたい毎回、「かろうじて青」のスポット。フィラデルフィアやピッツバークのように有名でないし、大した人口でもないのでここでの「青」は誰も目に留めないけれど、テレビ画面にペンシルヴァニアの地図が現れるたびに、私は素早くその真ん中のスポットを確かめ、「ああ、今回もどうやらなんとか青だったらしい」と胸をなでおろしたものだった。

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ペンシルヴァニアの動向をそんなふうに「自分ごと」のようにして見守る中、何度か画面に登場したのが州務長官の女性。英語ではSecretary of State。州の公務を統括する公職で、とりわけ国政、州政を問わず、選挙時にはその公正な運営に大きな責任を追う役職だという。この人が、実にいいのだ。どのような経歴の人かわからないけれど、記者会見でもニュース番組とのスカイプインタビューでも、その受け答えは実に明瞭にしてシャープ。そしてその態度は温厚にして控えめ。メリル・ストリープが彼女役を演じたら、役作りなどほぼ不要、ほとんど「地」でいけるのでは、と想像させるような、何かそんな感じの人物だったりする。ああ、こんな人が自分の暮らす場所の公職トップだったらさぞかしいいだろうな、と思ったほど。

その彼女と同じくらいの頻度でインタビューに登場した州検察長官というのがこれまたいい感じの人だったし、開票所で夜を徹してマスク姿で黙々と作業に励むボランティアの市民の皆さんの背中にも「アメリカの良心」みたいなものを感じてちょっと感動した。町内に必ずいる気さくで善良なおじさんやおばさんたちの姿がそこに重なり、テレビ画面前のこちらはもはやすっかり彼らの隣人気分である。

あのペンシルヴァニア在住時代にこのような「隣人気分」を少しでも味わうことができていたならば、恐らくは私のアメリカ暮らしももう少し親密で愛すべきものになっていたのかもしれない。共同体への素朴な帰属意識は盲目的、排他的にならない限りまんざら悪くもないし、どのみち人間は一人じゃ生きていけないのだし、と今更ながらそんなことを思わされたこの選挙。

公職のトップからボランティアの老若男女、そしてパンデミック下にもかかわらず一票を投じたすべての市民まで含め、大統領選の決定打という大役を果たしたペンシルヴァニアの奮闘が何やら誇らしい。それに、バイデン氏自身、ペンシルヴァニアのスクラントンという街の出身。あああそこか、知ってる知ってる、ボストンからの帰り道、突然の大雪で高速道路が止まってしまい、路上の車内で震えながら夜を明かしたあの場所こそはスクラントンの郊外だった、という古い記憶までもが蘇る。ああ、まるで地元出身のタレントを全力で応援するおばちゃんのごとき、すっかり「おらが村」贔屓メンタルになっている(笑)。

なんでもSNS上では #pennsylvania2020 なるハシュタグがトレンド街道を静かに上昇中だとか。人生でここまで米大統領選を熱心に見たことはなかったけれど、そのおかげで大統領選の仕組みや各州、各カウンティの人口構成などがとてもよくわかった上に、アメリカにはとても優秀で人間的にも尊敬のできる人たちの厚い層があることもよく見えた。その上、あの巨大な国土の一角に、#pennsylvania2020 という小さな「居場所」を見つけることさえできた。コロナ第二波の猛威で旅行はおろか、ひょいとその辺で一杯、というようなささやかな楽しみさえ叶わぬ重苦しい日々の中、今回の選挙は素晴らしいエンタテイメントだった上に、「ちょっと救われる思い」を与えてくれた。Thank you, America, thank you, Pennsylvania.


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