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【moonage daydream鑑賞後⠀】結局、我々は夢中になる。虚空の空に。

ボウイのドキュメンタリー(?)映画"Moonage Daydream"を目撃してからおおよそはや1ヶ月。地方在住者にとっては観られる映画館も限られ、たった1回しか観られなかった。それだと言うのに余韻は相変わらず白熱のように脳裏に焼き付いて、サントラを順に追っていき寂しい気持ちになる。「命は有限だが音楽は永遠」……確か坂本龍一も似た言葉を残していたな。"Aladdin Sane"が発売されてから半世紀も経つというのにがっちり今を生きる人々に愛されて聴かれているという現実に胸が熱くなる。

それ程マニアックにファンだとは言い難いが(むしろ私のメンターはミック・ロンソンである)、とりあえず洋楽で誰が好きかと聞かれたら迷わずボウイ、と答えるような曖昧な聴き方をしてきた。実は聴いてないアルバムも数枚ある。たがしかし、ボウイの独特なコード、美学(彼の美学は何となく捻くれてダークなものを好んでいそうだ。あくまでも)、ルックス
(トークセッションでSUGIZO氏が迷わず「顔が好き」と、即答して微笑ましかった)時代から引き出す何かしらのテーマ、どれをとってもクオリティが高くそしてまたファンを含めて人々を虜にさせる存在感は凄かった。
本人は至って冷静で透けて見えるような佇まい。彼を中心として私達は驚愕し、悲しみ、そして高揚する。その働きは少しばかりの狂気が見える。

初めてボウイを聴いたのが"Black Star"だったという方もいらっしゃるかもしれない。私も暫く聴かない時期もあり('95年に一緒にツアーを行ったNine Inch Nailsのいわゆる「ミイラ取りがマジでミイラになって」信心を変えてしまった)生で観たのも"Realityツアー"の1回だけだ。そんなディープなファンには蹴散らしてしまわれそうな私であるが、年数を重ねる毎に確実に自分の中のボウイ像をつくりあげてきたようだ。変化する男を受け止めながら、石灰像のようにうやうやしく祭り上げていたのである。

結果から言うと"Moonage Daydream"はその石灰像を粉々に打ち砕いた。自分の中にしまわれた時空列を無茶苦茶にした。攪拌して、沈殿したボウイが持つ確実なものがあの映画の中にあった。2度目の"hallo space boy"の大音量を体感しながら、それに触れられないもどかしさを感じた。「僕は近くにいる、だけどあまりにも君は遠い……」"Space Oddity"の歌詞めいた事を、これは後から思った事だけど。彼が提示した距離感は東洋的だ。時の全てが儚くしかし頭は天を見上げている。

ブレット・モーゲン監督のおびただしい映像のコラージュが追い打ちをかけるようで、最初は戸惑ったがその手法が逆に囚われのないボウイの心を映しとるようだった。ダサいドキュメンタリーだったらどうしてくれる、ぷんすか。と身構えたが、杞憂に終わった。実際映画の余韻に齧り付きながらサントラを耳にして体験したことをいつまでも追っている。

私の中で凝り固まっていたボウイ像を叩き壊してモーゲン氏は穴の空いた壁へと誘導してくれたのだ。

それはボウイにまつわる新しい宇宙だ。リペアして新しく差し出されたジギーのギターだ。

この映画を観られたことを心から嬉しく思う。
そして自分より若い世代にデヴィッド・ボウイというひとつの宇宙を体感してもらいたい。

(イラストは自作。ボウイの顔に描いたピンクは"Boys keep swinging"のオマージュ。
https://www.instagram.com/narieline に飛ぶといくつかのファンアートが見られるかもしれません。)



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