日本ではずっと英語読解=「日本語訳」という思い込みが強過ぎて、読解力がなかなか上がらないどころか英語ができなくなるという状況が続いてきました。英語教育の一般化から70年。時代は令和です。そろそろ「日本語訳」に頼った英語読解はやめません?
前にも出したやつですが、一般的な「日本語訳」に頼った読解はだいたいこんな感じ。
進んで戻ってジャンプして大騒ぎです。
同じ文章を「論理イメージ読解」で読解するとこうなります。
前から読みながら、論理的にイメージを取り出していきます。
単語や表現にはそれぞれ論理イメージが存在します。それらを「具体的にはどういうことなのか」考えながらつなぎ、文自体の論理イメージを構築していきます。さらに文ひとつひとつの論理イメージを、「具体的にはどういうことなのか」考えながらさらにつなぎ、文章全体の論理イメージを組み上げるわけです。
この、【 取り出し→具体化→つなぎあわせ 】による論理イメージ構築が「論理イメージ読解」のコアです。論理イメージ構築が理解につながるのではなく、論理イメージ構築こそが理解そのものです。この中に「日本語訳」は含まれていないですよね。本当の意味の読解に日本語訳は不要なんですよ。仮に「日本語訳せよ」とテストかなんかで言われたら、構築した論理イメージを日本語で作文するだけ。これは英語読解力ではなく日本語作文力の次元ですね。
この程度の複雑な文になると昔ながらの「日本語訳」では手も足も出なくなります。
論理イメージ読解ならまったく問題なく読めます。
論理イメージは文章の外にも存在します。この文章の出典を見るとMartin Luther King Jr.とあります。この名前が1960年代の公民権運動最大の指導者だとわかると、それ自体からも論理イメージが取り出せます。
この文章の読者にもキング牧師が何が言いたかったのか、頭の中である程度明確なイメージがつくられたのではないでしょうか。
これが論理イメージ読解です。
日本語訳は不要です。
論理イメージ読解ができるようになるためには、いくつかのステップで練習を重ねていくことになります。また、複雑な文から論理イメージを取り出して構築する際には、文法的な知識も重要になってきます。今ここで一気に書くのもあれなので、何回かに分けていろいろと書いていきます。