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なんと言おうと#11 ~10年経って思うこと~

皆さま、こんばんは。なんと言おうと#11です。
11月11日といえば、何を思い浮かべますか?ポッキーの日?サッカーの日?それとも誰かの誕生日?1年のうちで記念日が最も多く制定されている11月11日、今回の#ioutoも11ですが(今まで全く言ってなかったですけどこのコンテンツのハッシュタグは#ioutoです!)、僕にはこれ!という毎年必ず思い出す出来事のある日なのです。残念ながら決して前向きなことではないけれど、この日に思ったことを今日まで思い続けて生きていて、しかしその中身を掘り下げていくと10年の間で考えが変わったこと、変わらないこと、両方あることに気づいて、そんなことを今回は書いていこうと思います。それでは、自分の10年を見つめる回、スタートです。

10年経って思うこと、はじめに

最初に言っておきます。良い話ではありません。ここ数年、鳥取に来た理由を訊かれることがよくあるんですけど、いつもぼかしてしまっていて、ここで書く内容がぼかす理由に直結します。100%ぼかしを取ることはできませんが、10年経ったのでこの機に少し明かしても良いのかなと思い、自分の中でできる範囲でぼかしを取っていきたいと思います。

今朝のツイートより。

10年前の11月11日、当時14歳・中3。この日僕は「体調が悪くないのに学校を休んだ」日です。まぁ、一言で言うと「ボイコット」ですね。一応、学校には連絡いれていたはずなので無断欠席には当たらないでしょうから、「ずる休み」よりは「ボイコット」のほうがしっくりくるかなぁと思います(ただ、1人の時にもボイコットって使いますかね?)。

さぁ、何から話しましょうか。先日実家に帰ったので、手元に当時の日記を写真に撮って置いていますがちょっと迷ってしまったので、インタビューっぽくして(自問自答ですが)順序だてていこうと思います。ここからは、キーボード入力だけではなく、音声入力のところも少なくないので、言葉の繰り返しや、文のつながりとか分かりづらくなっているかもしれませんが、ご了承ください。


なぜ休んだか?

実はこの前日にクラスマッチがありまして、自分のミスで負けてしまったんですよ。まぁその前からクラスの人たちはただでさえうまくいってなかったし、チームワークなんてなかった。 続けてあれやこれやと言われてしまってもう顔が見たくないと思ってしまったからです。 お前のミスかいと思うかもしれませんが、その前からずっと複数人に 殴られたり蹴られたり悪口を言われたり ということが続いてて、学校に行きたくないと思った日はほぼ毎日でしたが それでも嫌々ながら学校には行っていました。しかし、この日は行かなかった 。 ストレスが積もりに積もって限界に達した結果が学校ボイコットというわけです。当時の日記を読んだのですが、相当悩んでいるというか、クラスの人に対して怒りに満ちたことを書いていましたね。卒業までずっと。字も今の僕が見るとなんだこの雑な字はと思ったほど。それぐらい精神的にきていました。

その日何を思ったか?

あんまり覚えてないんですよね、日記には「1日中ぼんやりしながら・・・」と書いてあって。 家でベッドの上で本を読んでいたか 寝ていたか ご飯もほとんど食べられなかったような気がします(中学時代は朝は特にそんな感じで、ひどい時は10日が体重が3kg落ちたこともありました)。まさに空白の一日っていう感じですね。

その結果、周囲の反応はどうだったのか?

先生達は その前から僕の様子がおかしいということを察してくれたみたいですぐに問題にしてくれました。そしてどれくらいの人が思っていたかは分からないけど、クラスの人はまた学校に出てきてと欠席の連絡の紙に書いていました。 しかし僕のことを攻撃してきた奴らは、なぜ怒られなきゃいけない、納得できないっていう感じでしたね 。まあ僕からすればなぜ向こうが そう思ってるか納得できないんですけどね、今も。先生にもバレて、僕が休めば向こうもまずいと思って考えを変えてくれるんじゃないかと思ったけどそんなことはありませんでした。その考えは甘かったです。形だけは 謝ってましたけど、その後も卒業まで、いや今まで関係は変わらなかったですね。 時が経つにつれて何を言われたかとかはだんだん忘れてしまうものなんですけど、とにかく 悪口を言われた殴られたり蹴られたという記憶自体が強く残っています。でも、休んだのはこの1日だけで、その次の日から高校卒業までは1日も休んでいないんですよね。

現在、どうつながっているのか?

このことが今を生きる原動力になってますし、絶対どこかでやり返すという思いを今も、今までも毎日毎日持ち続けています。どうしても中学校のことというとこのことが頭によぎって、どんな楽しい思い出もこのことには勝らないというかこのことが勝ってしまう。 そしてこの出来事を機に高校では絶対奴らとは別の学校に行って大学は福岡を出てやろうと強く思いましたね。そして これがあったから 成人式も出てないし同窓会も行ったことがない、そもそもこのときに成人式も同窓会にも行かないことを決意したんでした。 どんなに他の人が優しくしてくれたとはいえ、その数人のせいで、秤をかけたときに数人のことのほうがどうしても大きくなってしまう。結果として、高校はその時のクラスの人とは誰とも被らない高校に行き(周囲が皆塾通いの中、塾に通わず1人勝ち、ものすごく嬉しかったですね)、大学も福岡を出て、今も実家に帰省はあれど(帰省して街を歩くときも常に周囲を見渡して奴らと出くわさないかどうかアンテナを張り巡らせています)、福岡に戻ることなく働いています。受験のエピソードはまたどこかでしたいと思いますが、中学のときとメンバーを、環境を変えたのは自分の中では大正解でした。明らかに高校からは状況が良くなったし楽しかった。高校でも「大石くんつらそう」と言われていたし、100%楽しかったわけではないけれど、あのときに比べれば全然辛くないと思っていたし、中学の先生からも「この先これ以上に辛いことがある」と言われたけれど、現状それより辛いと思った瞬間がきたことは1度もない。恵まれているのかもしれませんね。いや、辛いと思うことは何度もあるんですけど、自然と「これは2番目に辛い」って思いますし、実際に1番じゃないんですよね。

その時と変わったことは?

冒頭に考えが変わったこと…ってあるからこれは書かないと。
日記を読むと「思い詰めすぎ」とか「休んで迷惑をかけた」とか「僕も悪かった」とは書いているけど、僕が休むことで周囲の考えが変わるのではと思っていたぐらいなので当時の本心にそんなことはあまり思っていなかったのでは、いや、その瞬間は思っていて、少し時間が経って思わなくなって、こう大人になるにつれて確かにそうだったかもしれないというところが正しいだろうか。そういう考えに無理をせず持っていけるようになったのは変わったと思う。人には人のものさしがあって、ある人はこのラインまで許せて、またある人はこのラインまで許せる。僕は今も昔も変わり者で、冗談やお世辞を言ったり言われたりするのは苦手だし、そのラインが他の人より極端に低かったのではないか。そして、勉強はそれなりにでき、絶対に負けないという分野を持っていてそれでも満足せずあらゆる分野で高みを目指す、そんな一面が奴らなりに気にくわなかったのかもしれない。僕も100%相手が悪いとは思わなくなった。よく、いじめ問題において「いじめられっ子も悪い」かどうかは論争になるけれど、今の僕には何%かはそう思うところがあって(もちろん全部じゃないです)いじめられっ子側の言動が引き金になっている事案ってたくさんあると思うんですよ。僕のメンタリティーがもう少しよければ、もっとひどい状況にはならなかったのではないか。この10年、経験を積み重ねるうちに心の余裕と視野の広さはでてきたかなと思います。

今も変わっていないことは?

今でも、向こうが100%悪いわけではなくても、僕のことを悪く言ってきたやつがいるという事実は変わらないし、関係を戻そうという考えもないし、許す気もないこと。ここは絶対に変わらない。まぁ、仮に謝りに来ても許さない。でも向こうは向こうで俺が悪いとは多分思ってないからこのまま平行線をたどるんだろうな。奴らのうちの1人と高校の時にすれ違ってにらみ合いになってからは一度も姿を見てないけど、常に「やられた分は絶対にどこかでやり返す」「もし出くわしたときにどうふるまうのか」を頭の中に入れながら行動しています。夢の中ではボコボコにしましたけど、現実ではまだなので。会いたくはないけど、絶対どこかでやり返したい、すなわち顔をみせたいという相対した考えを持ってしまっているのはちょっと悩みどころです。でも、「やられたらやり返す」は決して悪いことじゃないと思うんです。そうでないとやったもの勝ち、やられた側は何もできずに泣き寝入りということになるので。というかなっているので。もしやり返せたら?やり返せたら帰るかなぁ。

おわりに

いかがでしたか。読みづらかったと思います。10年経っても怒り、悔しさ、悲しさ、色んな負の感情が沸き立って、それを思うままにつづっていったのでまとまりがなくなるですよね、上手く書けるようになればもっと心にこう、なにか刺さるものを感じられるようになるというか・・・。これを書いている僕にとってこの文章が受け入れられるのか、それは違うよと言われるのかはまったく分かりませんが、勇気をもってこれをアップしました。

こんな感情を持ちながらでも、僕は今日を生きています。これだけはしっかり伝えたい。これを10年前に関わりのあった人たちに読んでほしい気持ち半分、読んでほしくない気持ち半分・・・。
もし、今対人関係に苦しんでいる人がこれを読んでくれていたら、これも伝えておきたい。やり返すことは悪いことではないけど、一線を越えてしまうとそれは奴らと一緒だ。やられた側はこの点においては不利なのが難しいところだとは思うけど、世の中悩んでいる人はたくさんいるし、どこかに悩みを晴らす、切り拓いてくれるヒントは転がっている。僕は区切りのタイミングで環境を変えたことでひとまず乗り切ったし、人の数だけ解答があると思う。「生きるのを諦めないで」とシンフォギアの立花響も言っていますが、自分の感情というか思い、目標を毎日強く持ち続けて、それをエネルギーとして燃やし続けていれば、どこかでチャンスはきっと訪れるはずです。ただ、申し訳ないけどそれが明日なのか、10年後なのか、死んでからなのかは分からない。とにかく燃やし続けることが胆だと思います。


最後は気分を切り替えてこのコーナー!

今週の一枚!

先日、#5のコメント欄にHN:wawabubuさまよりメッセージを頂戴しました。ありがとうございます。

この写真のラジオ待ってます。ソニーのやんね?エリア別にダイヤル表示がかちゃかちゃ回るやつ。ボリュームのガリが出て聴きづらくなったけどまだ可動です。BCLってんですか?やってましたよ。ベリカード集め。気象通報はワンゲルで気象連絡係だったので天気図を書く訓練させられました。ウラジオ?テチューヘ?どこや?探しているうちに先々いっちゃて…

というわけで、今週の写真!

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先日、実家に帰った時に、日記と合わせて気象通報のノートも撮ってきました!
写真のとおり、気象通報のコールサインでBCL、やってました!ていうかBCLって言うんですね。知らないでやってましたよ(笑)。しかも、放送局によってはベリカードがもらえる案件なんですね。もらえることを知っていたらもっと本気でやってたし、もらってたと思いますよ。おそらく、時期はメインで話した内容と重なる2011年9月~12年3月だと思うんですけど、受験勉強の合間に、勉強も学校のことも忘れて熱中してた時期ですね。癒し?でしたね。そして、よく見ると聴取する局にはある程度パターンがあって、自分なりの妙なこだわりが表れていますね。
ちなみに、他のページには各局の周波数やアナウンサーの特徴とか書いていました。まさにデータ型人間。傾向と対策、分析が大好きなんですよね。もちろん、風向、風力、天気、気圧、気温の記録もびっしりと書いていて、ノート3冊(前に4-5冊と書いた気がするけど、そんなにはなかった)、2011年3月ごろ~2012年9月16日まで記録があり、その後2014年2月19日に1日だけ聴いていて終わりになっていました。もうちょっとやってた気がするけど、そんなもんだったかなぁ。

前回投稿からわずか4日で約5000字。我ながらよく書いたなぁ。
それでは、また次回お会いしましょう!!

(※公開後に編集が入る場合があります)

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