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【小説】私立図書館との出会い

駅から伸びる商店街から1本逸れた細い路地。突然の昭和感満載な砂利道。用もないのにこの路地初めて足を踏み入れるには、結構な勇気が必要だろう。

砂利道の突き当たりには、3階建ての蔦に覆われた古いビルがある。蔦のおかげでパッと見た感じどのくらい古いのかがわからないがビルの真ん中にある階段の少し錆びた手すりでかなり古い事がわかる。

このビルは、真ん中の階段を中心に3階まで左右6個の店舗が入ったビルだ。私はその階段を2階まで登る。左側には、飲食店が入っているが私の目指す場所はそこではない。右側が私の目指す秘密の場所。きっとなかなか辿り着くことができないだろう場所。そこは、6席しかない私立図書館。
 
 図書館の営業時間は、夕方6時から夜中0時まで。室内には、心地よい程度の音量でクラッシックがかかっている。薄暗い中にアールヌーボー様式のランプが程よくある照明。特徴ある椅子と小さなサイドテーブルがセットになって4席、書き物が出来るような椅子テーブルが2席。6名しか入れない私設図書館である。
 小さなサイドテーブルとセットの椅子はどれもこだわりの品の様で革製のゆったり座るものからロッキングチェアの様なものまで。今日読む本の気分で選ぶことができる。
 ここに来る様になってから読書をする時の空間と椅子の大切さを知った。私は、本を読み始めるとすぐに本の世界に引き込まれる。そしていつも読了後本の世界から現実に戻るあのどこでもドアで突然別の世界に放り出されたような現実に戻る瞬間に戸惑いを感じていた。ここで1冊の本を読み終わった時にその大切さを知った。この図書館の空間と椅子は、私を読了後突然現実に放り出すのではなくゆっくりと現実に戻してくれる。それを体験した私は、すぐにこの私立図書館の虜になった。
 
 今日も階段を上り入り口の重厚な扉を開ける。そこには、しっとりと湿度ある暖かい空気が広がる。足を踏み入れるととすぐに優雅に座りながら目配せをする人がいるのに気付く。毒リンゴを持った魔女を思わせる怪しくも優しい存在感…この人こそここの店主。口数少なくいつも何やらお酒を嗜んでいる。性別を考えるのは無粋と思わせる空気感。優雅にお酒を片手に本を読んでいる姿は、誰もが魔女かマダムという言葉を連想するだろう。いつもシックな色のロングのワンピースにショール、その素材やデザインに品の良さをそして装飾品にセンスの良さを感じて魔女ではなくマダムと心の中で呼ぶようにした。
 この私設図書館は、普通の図書館とは違い飲食をすることができる。そのことに私は勝手に《大人として扱われているのだ》という優越感を感じている。入り口には、お湯とカップが用意されている。私はいつも好きな紅茶を家から持ってきてはここで入れそれを片手に本を読む。お昼を食べ損ねた日などは、小さなベーグルを片手に本を読むこともある。そしてこの図書館のもう一つの特徴は、なんと本に書き込みができるということだ。本を手に取るとたまにこの本を手に取った人からの手紙の様な文章が添えられている。ある本にはこの本を呼んだ感想なのか
 《最後のあの電話は誰からだったんだろう…私は母からだと思う。きっといい知らせだ》
 などと書かれておりその隣には別の筆跡で
 《あれは、主人公渾身の演技の電話で本当は電話なんてかかってきてない。きっと彼女を思うばかりに演じた彼の精一杯なんだ≫
 などと書かれている。同じ本を読んだ人とそれについて共有できる。それも本当に同じ本。なんて素敵な空間なんだと初めて見たときは、感動したものだ。なかなか共有することができない本を読んだ時の感動と高揚感を、見ず知らずの誰かとただ分かち合うことができたことに嬉しさを隠さずに入られなかった。
 そして本の感想や共感とは全く別の意味を持つメッセージにもある
 

《長い間悩んで離婚を今日ここで決意しました。前へ…》

 と言うメッセージの隣別の筆跡で

《揺れ動く気持ちを確かにするためにこの世の誰かにそれを知ってもらう事であなたが強くなれるなら私はそれを見届けます》

 なんて言うメッセージ。それを初めて見たときは、この空間の一緒にいたかもしれない誰かがこの文章を書いてるかもしれない。そう思うとこれを書いたのが誰なんだろうと言う野次馬心がはみ出て落ち着きがなくなったものだった。一時期は、この書き込みを見るのが楽しみで書き込みがしてある本を探しては読んでいた。
 

でもそのうちそんな図書館との距離感も他のお客様との距離感もなれてきて何もが気になる様で遠い世界の話の様になってきた。それが私がこの店の常連となれた時だったと思う。

 最近気持ちが落ち込むことがあると必ずこの図書館へやってくる。何か特別なことがあったわけじゃないけど漠然と落ち込むことが多くなった。
 40歳をすぎ今まで独身で仕事ばかりしてきた私は、このまま仕事だけの人生でいいのだろうかと…ただ漠然と、そして頻繁にそう思う。別に何か不満があるわけじゃないけれど40歳を過ぎるということは、少しづつ身体に無理が聞かなくなることを実感しながら走るではなく歩き家ながら前に進むことを考える時期なのだ。

続く


#小説 #長編 #間借食堂  

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