偏屈な父を持つ私の初家族旅行は新規事業開拓でした。
『親が元気なうちに一緒に旅行に行くといい』
先人たちが言ったその言葉をなんとなく心の奥底に置いておきながらも直視しないようにしてたらすでに父親の足の具合が悪くなっていた。10分も歩けば足が悲鳴をあげるそうだ。心の奥底に置いてたのは、親孝行への恥ずかしさと両親はまだ若いという希望が入り混じっていたような気がする。
コロナ禍で世の中の流れが少しゆっくりになった。残業続きの仕事もぱたっと少なくなり自分の時間に余裕ができて先人たちの教えを思い出した。結婚もしていないし子供も産んでいないことを考えるとせめてもの親孝行と思い立ち旅行を計画した。
年に1度は必ず見る夢がある。冥土に行ってしまった妹と両親と沖縄に行くのだ。妹からのメッセージも実行したくて行くなら沖縄だと決めていた。
まずは母に父のお休みが取れないかと確認してもらう。自営業の父にとってお休みは『敵』なのだ。金の卵世代苦労も多かったのだろう。もちろん母から持ちかけられたそのお休みの提案はあっけなく断られた。
これにはちょっとイラッとしたのだけれど失敗するわけにはいかない。苦肉の策で思い立ったのがこれは仕事だと思うこと。新規事業開拓だと割り切って再度交渉をお願いする。さながら母は、私の送ったスパイのように頑張ってくれた。
一度いい始めたら引っ込みがつかない父をどうにか母は言いくるめ3日間の時間の確保に成功したと連絡が来たのは相談してから3週間経った頃だった。
行き先のプレゼンテーションは、私が行うことにした。沖縄の旅行雑誌と地図を用意した。
新規事業の場合こちらで全てやってしまうのではなく簡単なことをお願いして共同作業にすることでどんでん返しを受けにくくなる。共同作業による責任を分かち合うことが大切だ。そしてその苦労や責任と達成感はきっと比例する。
今回の旅行もネットの星の数が多い観光地を集めてどこに行きたいか選んでもらうのはやめて行きたいところややりたいことを探して一緒に旅を作っていくことにした。
まずは、基本知識をということで大まかに沖縄について紹介をしようと旅行雑誌を広げながら父に話をした
「ほら見て!この海の青さ。綺麗でしょ」
と私がいうと
「この前いった角島とほぼ一緒やな」
……
他者との比較に狼狽えていても何も始まらないと気持ちを切り替えプレゼンを続ける。そして最後どこに行きたいという詳細はいらないので夕日が見たいとか砂浜を歩きたいとか大まかなイメージを作ってもらうようにお願いして第一回目のプレゼンは終了した。
次にプレゼンの効果が気になりスパイの母に状況を確認した。母はすでにできるスパイと化していた。その報告により父は毎日旅行雑誌を見ていることが判明した(笑)作戦大成功
戦後生まれの父は侮れない。一度言ったら引っ込みがつかないのだから簡単に私に希望を伝えることはないだろうと判断した。ここはスパイに状況のまとめをお願いした。役割を与えられたスパイ母はちゃっかり話をまとめ自分の希望を多めにして報告してくれた。ただ足の悪い現ボスの状況を鑑みることも忘れてないのがやっぱり長年連れ沿った夫婦だなぁと感心した。
ということで①青い海が見たい②沖縄そばが食べたい③歩きたくない④ゆっくりした気分がいい⑤夕日が見たいという大まかなまとめがやってきた。そこで行程をたて地図に印をつけて持ち物の注意事項などを連絡した。ここで旅行まであと1週間。
旅の始まりがどうなることかと心配していたが父はカッコよく服装を決めてきた。やる気だ。そして空港までの間の朝ごはんにと手作りのサンドイッチを持参していた。もうものすごくやる気だ。上手に煽てながらスパイ母と父の機嫌を取る。やる気なのだ。ただ鎧を脱ぎたいのに脱げないだけ。きっかけがないだけなのだ。
北風と太陽を思い出した。北風より太陽がコートを脱がせることができたのだ。太陽とは何なのか。私の自問自答が始まる。父にとっての太陽……
飛行機に乗り沖縄に着く。ポークたまごおにぎり屋に並びレンタカーを借りる。父の鎧は沖縄の暑さもあってか緩んだもののまだしっかりつけられている。ひめゆりの塔・エイサーのショー見学と旅は進んだのだかここで私の読みの甘さが露呈する。父は私の想像以上に歩くことが困難だったのだ。私の中での予定を変更する。
そんな中新たなアクシデントが起こる。スパイ母がこっそり私に耳打ちした。
『お父さん足に豆ができてるらしいの』
父は履きなれない靴を履いたため足に豆ができたというのだ。父の少し緩んだ鎧はこのことにより再度しっかり着直されることになってしまった。
北風と太陽の太陽がわからないまま1日目が過ぎた。朝方まだ太陽が登らない時間トイレで起きた私はバルコニーに一人座る父の背中を見た。その背中はとても寂しそうに見えた。父もきっと鎧の脱ぎたいはずだ。太陽を探さないと……
2日目。父の鎧は脱がれるどころかしっかり紐を結ばれていた。太陽がわからないまま時間が過ぎていく。
困った時は、初心忘るべからず。そういえば、北風と太陽に気持ちが移ってしまっていたが新規事業開拓からはじまったんだった。
そう思えば、答えは自ずと出てきた。一番初めは、やってみてもらって『社長さすがです』と褒める。私はおぼつかないレンタカーの運転を父にお願いすることにした。
太陽は、これだった。父は生き生きしてきた。そこを逃さず『さすがです』と私は褒めた。父はおぼつかないながらも鎧を脱いだ。少し波乱気味だった新規事業開拓は、息を吹き返した。父は、運転をお願いされるという役割と責任と期待を背負い必要とされ居場所ができたようだった。
旅の間毎日私は両親宛に葉書をこっそり出していた。その日の行程と思い出を書いて。
そして最終の空港で最後の葉書を書いた。父と母へ一緒に旅行ができて楽しかった事。そして母が妹の遺影を持ってきてくれて4人で旅行が出来たことへの感謝。
後日、葉書が届いたのか父からメールが来た。
沖縄楽しかったな。ハハハ
今回の旅行で両親との距離感が一緒に暮らしていた時以上に近くなった気がする。そして私は両親を大切にすることの壁がとても低くなった。偏屈なのは父ではなく私だったのかもしれない。
初めての家族旅行は新規事業開拓だった。はじめが大変な新規事業開拓だけど一度初めてしまえば、次からは普通のお取引相手だ。
旅行に行くことになるまでのそれぞれの気持ちの流れを書いた文章が上記です。よろしければこちらも開いてみていただけると嬉しいです
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