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グレープフルーツの心配事

ちょっと疲れてた。
気づかないふりをしてたけれど
笑顔が一番楽だと思った時は、いつも疲れている。

ガソリンが足りない。そう思った。
お昼休みにグレープフルーツを5つ買った。
明日の朝これを絞ってジュースにして
体の中に新鮮な出来立てものが朝一で入ったら
何となく元気になれるような気がした。
車のガソリンのように元気注入。ビタミンC!

◆◆◆

5つも入ったグレープフルーツを入れた袋が手に食い込む。
『はぁ……』
食い込んだ紐でじんじん痛くなった指を見る。
疲れている時は、丁度いいがわからなくなる。

曇りの夕方は、物悲しい。
何だか涙が出そうなのに出る気力すらない。
そう想いながら歩いていると
グレープフルーツを入れた紙袋が破れた。

『このまま座り込んでしまおうか』
コロコロと地面を転げるのを見ながら
何だか情けない気持ちが、最高潮に達した。
『ほら、やっぱりツイてない。』
転がっていくグレープフルーツを拾う事すら想像できなかった。
私だけ時間が止まってしまったような気がした。

そんなことを思っていると
後ろから2つのグレープフルーツを手に持った女性が現れた。
座ることは許されない
仕方なく座り込むことを諦めて
笑顔を作り『すみません』といった。

次の瞬間前から来た男性一人と女性一人が一つずつ
グレープフルーツを持って向かってくる。
『ダイジョウブデスカ?』
そう男性から声をかけられた時涙が溢れた。
『ありがとうございます』
そういう事で精一杯だった。

『大丈夫ですか?』

私を心配してくれる人がいる。
『生きてていいんだな』
大袈裟かもしれないけどそう思った。
もうダメだと思って座り込みそうになった時
心配して助けてくれる人がいる。
『私は、一人じゃない。』
<生きている>ということと<一人じゃない>ということは
どこか似ているなと思った。

そういえば、ありがとうって最近ちゃんと心から言えてたっけ?
ありがとうの半分は、すみませんと言う言葉で置き換えられる。
そして少し打算的に、後輩や同僚に言う事で残りの半分を使っていた。一応言っといた方がいい『ありがとう。』

仕事でも心配する側になってた。
私生活でも親の心配や友達の心配ばかりしてた
心配されることは、何となく欠陥があることだと思ってた。
『もう大人なんだから。自分のことぐらい自分で解決しないと』
そう思ってた。
解決できない時は、諦めて解決してきた。
そうやって生きていくのが癖になってた

人は、一人より二人方が強くなれる。
その言葉を実感した。
明日からはちょっとだけきっと、『できません』とは言えないけれど無理かなって思ったら『手伝ってください』と声に出そう。
嫌な事をされたら、それをいなして笑顔を振り撒くのをやめて笑顔で『笑えません』と言おう。
行きたくない飲み会には、行きたくないとは言えないけれど『用事がある』と伝えよう。
そして、明日からは『ありがとう』と『大丈夫?』をたくさん言おう。
道を譲ってもらった時、困ってそうな人を見た時、仕事で助けてもらった時、ちょっと気になる行動を見た時。ありがとうと大丈夫をたくさん言おう。

あの時拾ってもらった5つのグレープフルーツは、毎日1つづつお風呂上がりに絞って飲んだ。心配してくれたグレープフルーツを拾ってくれた人に、そしてそれを教えてくれたグレープフルーツに感謝を込めてありがとうと言いながら飲んで眠りについた。

今日もたくさん『ありがとう』と『大丈夫?』に気づくことができたと思いながら……

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