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考えすぎてしまう自分

皆さんこんにちは。今日は天気がとても良く、久しぶりに日差しを浴びれて気持ちが高まっています。

前回の記事に多くの方がlikeを押してくださってとても感謝しきれないです。これからもいつも通り頑張ります。

さて、今日私が話す内容は考えすぎてしまう自分です。自分は他の人の10倍物事について考えます。(独断と偏見)物事について考える事は長所でもあり、短所でもあります。そんな、僕の悩みを皆さんに伝えたいと思います。

僕は全ての事に対して深く考えることはありません。自分はどちらかと言うと、頭にパッと思いついた物をすぐに行動に移します。しかし、僕はある事に対して深く考えてしまうのです。それは学校では教えてくれない事。答えがない問いに対して深く考えてしまうのです。そして、それが派生して日常の事物に対しても深く考えてしまう事もあります。そして自暴自棄になります。こんなことを繰り返し、繰り返し行なっています。そして、自分は考える事に対しては何事も集中して考えるので、周りが見えなくなります。

実際にあった話なのですが、私が丸の内の丸善である本を読みました。その本は「なぜ尾崎豊なのか」(著者瀬川正仁)という本なのですが、その最後の著者のあらすじに、記憶は定かではないのですが、「尾崎豊が私達に問いかけてくれた物を考え続けるのが私達の使命でしょう」みたいな文がありました。それを読んだのが。午後5時くらいで、少し気分転換をしようと外のベンチで座っていたのですが、最後の文について色々考えすぎてしまい、気づいたら夜の10時になっていて、5時間ほどこの事について考えていた事になります。

こうなってしまうともうある意味短所ですよね。これはしかもたった一つの例なので、友達になったら超めんどくさいタイプだと思います。しかし考える事が長所になる時も多々あります。それは、物事に対して考えることにより、その過程の途中で新しい発見をすることが出来ることです。例えば、前回書いた記事もそうです。そして、自分は今頭の中にまだ誰も発明した事がない事物に対しての構想もいくつか浮かんでいます。

そうなると、良し悪しの問題ではなくなるのですが、自分はこの事について相当悩んでしまいます。何故かというと、とにかく周りの人に嫌われるからです。たしかに嫌う要因は多々あるので、自分のせいでもあるのですが、時々深く傷つくような言葉を言われたりもします。

「僕は間違っているのか?」ずっと一人で悩んでいて、そのことを誰にも理解されないのはとても辛いです。しかし、このnoteを始める事により理解してくれる人を一人でも作る事ができたら、これほど嬉しい事はありません。そして、こういう子が周りにいたら是非優しく接してほしいです。ちょっと傲慢な文ですが、よろしくお願いします。





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