おそらく人生で初めて花束をもらった
あけましておめでとうと言った日から、早いものでもう4月。1年の4分の1がすでに過ぎたことになる。そういえば、今年の正月は中学時代の友達と成人式以来に会ったなぁなんてことを思い出す。彼らは今も元気にしているのだろうか。
つい先日のこと。職場の異動があった。この1年でお世話になった方々が異動するということで寂しい思いを持ちながらも、僕自身も諸事情によって異動することになった。寂しさはより強いものとなった。
特にお世話になった方に、ありがとうございましたという感謝の気持ち程度に、ハンカチとストームグラスをプレゼントに用意し、送別会という名の最後の出勤をした。
出勤してすぐ目に入ったのはいつもと違う机上の様子。様々な方からの餞別の品。ちょっと小洒落たお菓子やそれらに合うだろうコーヒーパック。今後も使えそうなハンカチなど、たくさんのものがメッセージカードと一緒に置いてあった。
もちろん出勤日なので最後までやるべき仕事はあったのだが、ちょっとの休憩時間としてメッセージカードひとつひとつを読む。
「新卒とは思えない働きぶり。」
「1年間おつかれさま。」
「新しい場所でも頑張って。」
お世話になった方々からの温かい言葉に目頭が熱くなった。はじめましての挨拶をした4月1日のことを思い出し、それからの1年間の出来事が走馬灯のように頭の中で思い描かれる。苦労したことはもちろんあった。正直、仕事に行きたくないと思っていた日々もあった。コロナになったときは迷惑をかけてはいけないと思い、熱と咳がひどくても無理をして家でできる限りの仕事もした。
もちろん楽しいこともあった。僕自身の成長も感じられた。だんだんとできるようになった事が増えた。先を見通しながら仕事をすることもできるようになった。
そんな密度の濃い1年間を、メッセージカードを読みながら思い出した。そんな感傷に浸っていると、異動する人が呼ばれた。そして、呼ばれた先で餞別として花束をもらった。
僕はこれまでに花をもらったことはなかった。おそらく。記憶に残っている中では、まちがいなく初めての花束だった。
これまで、誰かに花束を渡すことはそれなりに経験していた。中学時代は生徒会もやっていたこともあって異動される先生へ渡したし、高校時代も卒業するときに担任の先生へ渡した。しかし、花束を渡すとき僕は決まってこう思っていた。
花束ってもらっても飾るの大変だし微妙な気持ちになるよな
斜に構えていると言われればその通りである。しかし、当時の僕はホンキでそう考えていたのだ。こういう思いをもちながら花束を渡すとは、なんとも失礼な生徒だっただろうか。
しかし、花束をもらう立場になってこの考えも変わった。素直に嬉しい気持ちになった。実は、僕は送別会でもう一つ花束をもらっている。関係の深かった方から、個別でもらったのである。1日に2回も花束をもらうことになるとは思ってもいなかったが、2回とも嬉しい気持ちになった。
誰かにプレゼントを選ぶとき、僕はいつも、あったらいいけれど自分じゃ買わないだろうなぁというものを選ぶようにしている。だから、ストームグラスをプレゼントに選んだ。実際、小さな花束にしようかなとも思っていたが、やはり考えが変わる前の僕だ。もらったあとが困るよなと思い、花束の案は却下された。しかし、これからはプレゼントに花束を渡すという選択肢の幅も広がった。
いただいた花たちは、その日の内にダイソーで買った花瓶に入れられ、いままだ凛と咲いている。ダイニングテーブルには黄色を基調とした花を、玄関には赤やピンクなど鮮やかな色を基調とした花を置いた。
花がある生活というのはいいものだ。家に帰り玄関に入ると、まず花の香りがお迎えしてくれる。そして、机上の花たちは生活の豊かさを感じさせてくれる。せっかくの機会だ、自分でも花を買って飾ることをしてみようか。
人生に華はないけれど、家に花のある生活は送っても文句は言われないだろう。
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