3/4の考えてること
こんばんは。
ずっと思ってたことだけど、今とても書きたい書きたいな気持ちなので、勢いを大事に今月の記事を書くぞ。
自分のことを「ヤバいヤツ」と称する人って意味がわからんのだよね。
あと「変な人って言われる」ということをデカい声で自慢げにする人。
「わたし変だよね…あはは…」というように自虐してる風にうれしがる人。
本当にねえ、嫌なんだよね。苦手。
「変」というのは「標準」という軸があってこそ生まれる概念だと思うんだけど、全てにおいて「変」なんてことはないんだよ。
この事柄においては標準的なそれとは外れてるから「変」ではある。
だけどあの事柄においては標準と合致している。
そういうもんだと思うんだよ。
だから変で当たり前なんだよ。
普通の人と思ってる自分は誰かにとっての「変な人」であり、別の誰かから見た普通の人でもあるんだよ。
変じゃないやつなんていない。
言うたら自分以外みんな変な人だよ。
全部全部が標準ってそんなことある?
文化的に、生物的に、多かれ少なかれどこかしら何かが標準からは外れていると思うよ。
だからね、「変」であることは別に誇ることじゃないと思うんだよ。
人と違うことなんて当たり前。
当たり前のことを誇るのはよくわからない。
外れ方が大きいか小さいか、多いか少ないか、それだけ。
他人がさ、「あの人のこんなところが普通とは違って変だな」と言うのも然りだよね。
それをその人のおもしろさとして尊重するならまだしもね。
(おもしろさというのは味みたいな意味であり、ウケるかどうかは別の話。)
「標準とは違う考え方や行動をすることによって誰もがまだやったことのないことやモノを生み出す」まで行ったら、さすがに誇るわな。
逆に卑下するのも違うよね。
標準から外れてることで本人・他人に害や損が出てるなら対策を講じるとか必要ですけど、ただ「違う」ってだけなら別にそのままでいいやんと思う。
標準じゃないといけない理由って何?
いろんな理由から標準に寄せた方がいい時も多々あるけどね。
寄せたければ寄せたらいいし、寄せる気や寄せる必要が無いならそれはそれでいいじゃない。
標準でないポイントを上げる必要も下げる必要もないと思うなあ。
違うもんは違う。ただそれだけ。
困ってることがある時は助ける。
そうでないなら特異の目や哀れみの目で見る必要なんてない。
変なところもあれば普通のところもありますよー
人間そんなもんだよな。
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