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一期一会 今この瞬間の感覚を信じる

①だっていいじゃない

あの日あの時あの場所で君と会えなかったら、
僕らはいつまでも見知らぬ2人のまま

誰しもが(同世代なら?)聴いた事のあるこのフレーズ。このメロディーが流れるだけで胸が高まります。笑

僕は昔からロマンチストとか青春バカと周りから言われてきました。確かに昔からトレンディドラマや青春ドラマが好きだったり自覚もあった為、特に否定もしてきませんでした。

だってやっぱり良いじゃないですか、人との出会いって。クラスメイト、友達、部活の仲間、先輩、後輩、恩師、彼女、妻、そして新しい家族。

楽しい時も苦しい時もその時その瞬間を共にした人とはかけがえの無い、何か家族的な繋がりを感じたりします。

②自分の感覚を信じる
すれ違った人を他人にするのは自分。もちろん『地球全員皆友達!』という頭の中お花畑ちゃんになれという話ではありません。
ただ、この人は…と思う人がいたなら男女問わず声を掛けてみたりする勇気は必要なんだと思います。
何かこう魂が呼びかけるというか!自分の細胞レベルで全身全霊で感じる人というか!笑
…昔は皆んなあったんじゃないでしょうか。けど大人になるとなんで忘れてしまうんでしょう。

③ネット社会の弊害
僕達の生活において今や欠かせない存在であるインターネット。今読んで頂いているこの文も、インターネットがあり成立しています。
インターネットは、80年代に基盤が作られ、その後爆発的な勢いで世界に普及していきました。 

ネットは確かに便利で僕自身、キャンプに行った日以外は必ずネット社会に接しています。
特にメール、LINE、Facebook等のコミュニケーションツールの発達は、日本に限らず、世界の人とも繋がれる素晴らしいツールです。また『ネットでいつでも会える』『知り合える、出会える』という機能性はコロナ禍においても非常に有効だと言えます。

ただ一方で何か人間らしい感性みたいなものが失われている気もします。
中でも『直接思いを伝える』『出会いのありがたみ』という価値観に僕は変化を感じています。

直接思いを伝える
LINEで、好きだという事や、謝罪をすることは時として有効である事は認めます。ただ、直接会って好きと伝えたり、謝罪の気持ちを伝える時のあの心臓の高鳴り、緊張感、体全体が揺れる感覚はLINEを通じた指先の発信では感じられないのではないでしょうか。あの声が震えてしまう程の思いに、人は自分の本気度を感じるのだと思います。
『出会いのありがたみ』
ネットの普及によりいつでも会える、いつでも繋がれるという考え方が生まれました。
待ち合わせ1つとっても、私が小さい時は友達と、何時何分に何処改札に待ち合わせや、何時何分の電車で何号車目の車両といった感じでヒヤヒヤだったのを懐かしく思います。
また何かの集まりで会えば本当にその場限りであり、その場において必須で繋がりを求めに動きました。

④最後に
上記では僕が思う『出会い』の価値観について話してきました。
皆様もふと立ち止まって、目の前で流れている人並みを見ながら『出会い』について考えてみては如何でしょうか。


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