言葉を大切に用いるということ

 年齢制限をクリアしていれば誰でも利用できるSNSという情報空間の特徴ではありますが、ある用語や概念が悪意のある人間の自己弁護のために恣意的に用いられることで、その用語や概念自体の価値が貶められ、本当にその用語や概念を用いるべき人達が割を食う、といった事態が最近非常に多いように思われます。

 「誹謗中傷」という用語が最たる例です。一般に事実と異なる投稿で人を公然と侮辱したり、差別的な言動で人の社会的地位を貶めることを指し、日本では侮辱罪や名誉棄損罪を構成するものとして扱われることが多いです。しかし、中には事実に基づくまっとうな指摘を「誹謗中傷」とレッテル張りすることで自己正当化を図る人々が存在します。

 その好例が、皆さんもよくご存じであろう「通訳のアブドラ」ことフリージャーナリストの西谷文一です。彼が「通訳のアブドラ」なる人物から送られたと主張するシェアしている映像や写真は、実は現地の海外リポーターが撮影したものをそのまま流用したものであることが判明し、架空の人物をでっち上げ他のジャーナリストの成果にただ乗りする、西谷のジャーナリストとしての著作権意識の低さを批判する声が多く上がりました。そこで西谷が自己正当化のために用いたのが「誹謗中傷」という用語です。

 このほかにも西谷はウソがばれた後のツイートのほとんどに「誹謗中傷」という用語を用い、現地取材を行わずに報道を行う西谷のジャーナリストとしての倫理観に欠けた態度を批判する人々にレッテル張りを試みています。もちろんこうした西谷の言動は誹謗中傷を誤用しているだけでなく、誹謗中傷という用語を用いる他の人たちに対する評価にすら影響を与えかねない軽薄なものです。

 他方で、誹謗中傷という言葉を用いることができる立場にあるにもかかわらず、そうした使い勝手の良い言葉に頼らず、十分に思索を重ねたうえで自らの考えを表現する人々も残っているようです。次に取り上げる例は、つい最近の眞子様と小室圭さんの結婚会見における眞子様の発言です。

「一部の方はご存知のように、婚約に関する報道が出て以降、圭さんが独断で動いたことはありませんでした。例えば、圭さんのお母様の元婚約者の方へ対応は、私がお願いした方向で進めていただきました。圭さんの留学については、圭さんが将来計画していた留学を前倒しして海外に拠点を作って欲しいと、私がお願いしました。留学に際して、私は一切の援助はできませんでしたが、厳しい状況の中、努力してくれたことをありがたく思っております。圭さんのすることが独断で行われていると批判され、私の気持ちを考えていないといった、一方的な憶測が流れる度に、誤った情報がなぜか間違いのない事実であるかのように取り上げられ、いわれのない物語となって広がっていくことに恐怖心を覚えるとともに、辛く、悲しい思いをいたしました。」

 これほどまでに、誹謗中傷という言葉を用いず誹謗中傷があったことを伝える見事な表現も中々ありません。一連の調査不足のスキャンダルによって彼女ら二人に対する誹謗中傷が増幅されたことは、説明の必要がないほど誰の目にも明白でしょう。しかし敢えて彼女らの種々の決断は様々な人と話し合った上でのものであることを事細かに示すことで、いかに多くの事実と異なる報道がなされていたかをハッキリさせることに成功しています。

 言葉を扱う仕事につきながら、安易な言葉で自己正当化を図る者もいれば、もはや普通の人として生活を送れるようになってもなお、言葉の意味を大切にする者もいる。こうした実例を日々見ていると、やはり己の言葉の使い方を見つめ直さずにはいられません。研究者もまた、言葉を扱う仕事に他ならないからです。

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