SS「幸福」

ー大きくなったら社長になるー
小学一年生の時の作文で、そんな将来の夢を語った。
それから成長していくにつれて、何かを勉強したりすれば良かったのに、これといって特別なことをする訳でもなく、いわゆる"普通"の学生生活を送った。
いつの間にか、7歳の彼がクラスメイトの前で語った夢のことなど、彼自身が忘れていて、彼は高校を卒業して大学へ進学、そして周りと同じ様に就職活動をして、周りと同じような頃合いに内定を貰った。彼は今、とある会社で営業をしている。
7歳の彼が語った夢を実現できる人物などこの世のほんの一握りだけで、簡単になれるようなものでもない。そこにたどり着く為にはたゆまぬ努力が必要であることは自明だ。
しかし、ここに、そんな夢を本人の努力なく成就させる「手段」があった。

彼がこの会社で働き始めてから4年が経つ。営業部の中で成績を競っているが、彼は成績で一番を取る気なんて、これっぽっちも無かった。クビを切られない程度に働き、クビを切られない程度にサボる。一定の生活さえ出来れば良く、たまの贅沢といえばゲームを買ったり、回らない寿司屋で寿司と日本酒を嗜むことだった。彼はこの生活に満足していた。成り上がる気も無く、キャリアアップの為に転職を考えたりすることも無く、この生活水準が続けば良い、そう思っていた。
高校や大学の友人なんかは、ちらほら結婚をする者、子どもを授かる者なんかも出てきていたが、彼には将来を誓うような恋人もまだ居ない。

給料が入ったので、彼は行きつけの寿司屋に行った。最寄り駅から程近い、少し路地に入った所にある小さな寿司屋。たまたま近い会社に就職した大学時代の友人と、隠れ家的な店を探そう、と意気込んでたどり着いたこの店。店の雰囲気を気に入り、その友人と何度か通った。その友人は就職してから1年後に地方へと異動となった。異動の前にこの店で友人と酒を酌み交わして以来、ここには彼一人で来るようになった。
この日は日曜日で、ランチのピークが終わりかけの頃に入店した。大将は気前が良く、頼んでないのにあさりの赤だしをサービスでくれる日もあった。いつも通り、大将のおまかせ握りと、大将セレクトの日本酒で午後のひとときを過ごす。この店の影響で色んな地酒と出会うことが出来た。日本酒に関する資格でもとろうか、なんてことを彼が考えた時期もあったが、実際に行動を移すことは無かった。
会計時に大将から、
「今度は素敵なお相手でも連れてきなよ」
なんて言われたので、
「そのうちね」
と言って彼は店を出た。
2合の日本酒が彼の中に入り、ほろ酔い気分だった。
家に帰る為、少し路地を歩く。焼き鳥屋やラーメン屋等の色んな店が並んでいて、雑居ビルもある。
ビルとビルの間の細い道。その細い道を2歩程入った所に露店占いでもするかの様に、スーツにシルクハット姿の男が座っていた。気味が悪く怪しげ。いかにも、いかにもな風体だった。それが彼の視界に入り、立ち止まった。いつもの彼ならそこで立ち止まることも無かっただろう。今日の彼は立ち止まった。お酒の影響もあるのだろうか。
「あら、お兄さん。ここで会ったのも何かの縁だ。少し見ていきませんか。とっておきのものがあるんです」
厄介な者に声をかけられた。適当に話を聞いて早々に立ち去ろう、と彼は思いその男に近寄った。
「とっておきのものって?」
9割の人が言うであろう台詞を、彼はその男に投げかけた。
「何も置いてないじゃないか。冷やかしなら帰るぞ」
「それ、店側が言う台詞じゃないですか?不思議な人だ」
お前の雰囲気の方が不思議だよ、喉元まで上がってきていた言葉を彼は飲み込む。
「それは、これなんですよ」
シルクハットの男が、露店の机の下にある棚から、それを取り出した。それは黒色をした楕円形のものだった。見た目は完全に卵。彼の地元にある火山で名物となっている黒たまごのようだった。
「たまご?」
「ええ、卵です」
「え、バラ売り?」
「ええ、バラ売りです」
「え、なんで?」
「それは今から」
彼は興味を持ってしまった。変哲もない黒い卵。卵の形をした何か、かと思えば卵と言う男。

男の説明はこうだ。
これは見た目は卵であるし、今も割ると白身と黄身が出てくる。味は悪いが。しかし、これを割らずに持ち続ける。この卵は腐ることが無い。それがこの卵の使い方である。ただ所有し続けると、
「君に幸福をもたらす」
それ、きた。ありきたりな売り言葉。雑誌の巻末の広告かよ。彼はそんな感想を抱いた。
「そういうのは、いいよ。俺は"普通"でいいんだ」
「そう言ってますけど、人は一度くらい成功する夢を見るもんじゃないですか?プロスポーツ選手とか、社長とか」
7歳の彼が、彼の脳裡を横切る。
「持ってるだけで?」
「ええ、持ってるだけでいいです。普段通りの、これまでのように生活していってください。お代は要りません。差し上げます。要らなくなったら私に返しに来てください。私はここに居ますから」
「くれるのか」
「ええ。いつでも。ただ、私から受け取ってからはくれぐれも割れないように気をつけてくださいね。手放すときは私に返してください」
彼は男から卵を受け取った。受け取ってしまったのほうが適切か。
「これで、それは君のものだ。幸福を」
気味が悪いと思いながら、受け取った卵をポケットにしまい、彼は家路に着いた。

それから、彼の人生はトントン拍子で変わっていった。
卵を受け取った翌朝、出社の準備に取り掛かる彼。平日毎日、ネクタイを結ぶ頃にTVから流れている星座占いコーナー。彼の星座は1位を飾っていた。
全ての準備を終えて、家を出るためにTVの電源をリモコンで切る。リモコンをテーブルの上に置く際、昨日彼の持ち物となった卵が目に入る。それを彼は握って少し見つめ、ため息を一つついてからカバンに入れて出社した。
その日、休憩時間に淹れたお茶の茶柱が立っていた。
脳裡を黒い卵がよぎる。
「まさか・・・。偶然だよ」
この日、会社から最寄り駅までの道中にある3つの信号、その全てに行きも帰りも引っかかることは無かった。
1週間後、彼がよく使うキャッシュレス決済のキャンペーンで実施されているくじ引きの一等が当たった。その日に2回も。連続で。
「本当なのか・・・?」
偶然にしては出来すぎている。でも、次第に怪しい男から貰った黒い卵の存在を意識しざるを得なくなってきた。
年に数回ある大きな宝くじのタイミングで彼はいつも10枚組で買っていた。組違いで100万円が当たった。
本屋で本を取ろうとした際に、女性と手が触れた。それが彼女との出会いとなった。しかも、彼女は今の社長の姪っ子だった。それを知ったのは婚約してからだった。
「こんな出会いは漫画の中だけだ」
そんなことを新郎挨拶の際に盛り込んだ。参列していた社長も笑っていた。
子宝にも恵まれた。
営業の成績もなんだか伸びていった。特別な努力をしていた訳じゃない、彼はこれまで通りに生活していただけ、仕事をこなしていただけだった。
歳を重ね、子どもも大きく成長し、そして仕事では昇進を重ねていった。そして最終的に社長の座にまで上り詰めた。

気味が悪いほどの幸福

"普通"を望んでいた彼は、7歳の頃の夢を叶えていた。
自宅の書斎で彼は黒いを卵を手に取り、見つめる。
その卵は数十年前に手に入れた時と全く変わらない色艶で、彼と対峙していた。
彼は満ち足りていた。これ以上幸福が訪れるのだろうか。
もうそれは極として、自分は死んでしまうのではないか、という漠然とした恐怖も覚えた。
あのシルクハット姿の男の言葉が再生される。

「要らなくなったら私に返しに来てください。私はここに居ますから」

満ち足りている彼は悩み、そして決めた。
「あの男に返す頃合いか」
休日の明日の朝、あの大将の寿司屋に行き、そしてこれを返しに行くことを決め、彼は眠りについた。
翌朝、子ども達は独り立ちしていって、夫婦2人で暮らしている。
朝食を済ませ、彼は身支度をする。そして書斎で、その卵を手に取ろうとした時だった。
手を滑らせて、その卵が彼の手から離れて、床へと落下していく。
そして、音を立てるでもなく、地面と接し、割れてしまった。
「しまっ・・・」
割れた卵からは白身と黄身が流れ出ていた。それはあの時、あの男が説明していた時の卵と同じ色をしていた。しかし、それも束の間、異変が訪れた。
それまで黄色かった黄身の色がどんどん茶色に変色していく。そして白身の部分はどんどん黒くなっていった。
「えっ・・・」
彼は言葉を失っていた。そんな彼の背後から、聞いたことがある声がした。

「あぁ~あぁ。割れてしまいましたか。気をつけるようにあの時言いましたのに」
背後には、あのシルクハット姿の男が立っていた。あの時と変わらない風体、不気味さを醸し出していた。
「あんたは・・・」
「お久しぶりですね。どうでしたか?幸福体験は。君にはこの卵のおかげで余りある幸福がもたらされてきた。過度の幸福ではない量の幸福が定常的に。そしてどれほどの不幸を避けてきたんでしょう。結果として、今の君の人生がある、という訳です。一体、累計でどれくらいの幸福が君に訪れていたんでしょうね。・・・これをちゃんと私に返却できていれば・・・これまでの幸福を保ち続けて君は天寿を全うすることが出来たのに・・・。実に惜しい、卵の恩恵では補えない不幸だった訳です、こうして卵を落とす、というのは」
「卵を落としたことが、補えきれない不幸って・・・」
「幸不幸に内容は関係ありませんよ。そして、誰が、なんてのも関係ない。この世界に、まぁ言ってしまえば空気の様に漂っている【幸福】が、君が望んでいた形で訪れていたんです。その幸福、まぁ無償では無い訳です。金銭は発生しませんけどね。人生って普通は幸福ばかりではない。辛いこと、逆に不幸なことが当然起きうる。そうしてバランスは保たれてるんです」
「待ってくれよ・・・理解が追いつかない」
どこか、窓から見える空に暗雲が立ち込めてきていた。
「本来の幸福の対価となるものが、君には訪れずに、代わりとしてこの卵の中に蓄積されていってたんです。・・・その対価が、今卵が割れたことで世に放たれてしまった」
突然、大雨が降り始めた。さっきまで快晴だったのに、あっという間の出来事であった。
「一体・・・今から・・・どうなるんだ」
その時、携帯から不穏なサイレン通知が鳴った。
「おぉ・・・すごいことになってますね」
男はニヤリと笑う。
サイレンは鳴り、雷鳴も轟く。家の一角で皿が割れる音も聞こえた。
終末的雰囲気が漂う。
「おい!お願いだよ!なんとかしてくれよ!」
男は懇願する彼を見て、鼻で笑った。
「さぁ?これは対価ですからね。もう少し早く私に返そうと思って動いていれば、卵は割れずに済んでいたのかもしれません。この日このタイミングだったからこそ、卵は割れてしまった。どこかでもう少しだけ良いことが起これば、なんて心のどこかで考えていたんじゃないんですか?」
彼は何も言えなかった。サイレンと雷鳴が鳴り響く。そして、大きな地鳴りまでも響き渡る。
「あぁあぁ・・・。すごい。こうなったのも、こういう様相もひっくるめて、ぜ~んぶ」
キミガワルイ

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