大切な人のお祝いにローストビーフを作る(食材購入は母)〜20241018
ドラマやら本やらで、血の繋がりはないけど家族だよね〜みたいな物語がままあると思うのですが、まったく抵抗なく受け入れらるどころか、なんでそういうことにこだわるのか全然わからないおうちごはんパートナー・ナヲです。
ざっくり、大きくまとめていうと、日本の戸籍制度(姓を選ばないといけない)とか、血縁を元にした家族とかは、なんてナンセンスなんでしょう、と思っています。
思いながらも、いろいろなことに目をつぶり、ナンセンスな世界に迎合した20数年前。
まあ、その迎合がなければムスメさんにもムスコさんにも会うことはなかったわけで、いいとか悪いとかでは一切なく、ただそれを選びとってきた自分がいるだけなのですが。
そんな自分を常に一定の距離感で見守って?くれていたのが、まみちゃんです。
母とまみちゃんはほぼ同い年で(といったら怒られるかな?)、当時の県庁住宅で暮らしており、その時々で離れていた時もあれば近く過ごしていた時もありだと思うのですが、私は生まれた時からまみちゃん(と、おじちゃんおばちゃん)とは行き来をしていて、ほぼ親戚感覚でした。
※この感覚は、BS放映中の「団地のふたり」に近いのかも。
自転車の練習をしていて乗れた写真にはまみちゃんがいるし(運動神経がいいし面倒見がいいから付き合ってくれたと思われる)、おじちゃん(まみちゃん父)が詩吟の練習をしているのは興味津々だったし、おばちゃん(まみちゃん母)がうなぎを嫌いな理由も知っています。
まみちゃんは、「小さな恋の物語」を全巻持っていたからいない間でもお邪魔して勝手に借りていたし、私にお子さんができてからは常に応援をして、というか子どもが好きなまみちゃんは誰よりも愛してくれています。
まみちゃんが定年の時は、まみちゃんプレゼンツで夜行列車に乗って北海道に行って、旭川動物園からサッポロビール園まで楽しんで、、、私がアルバム作るね、と言ったまままだ作れていません。
エピソードはまだまだいっぱいあるし、夏休みの記録の畑もまみちゃん。
そんなまみちゃんの誕生日は10月で、母の8月お盆の誕生日に比べていつも全員で集まるのは難しい日にち。
誰よりもお世話になっているのに、、、と思いながらだったのですが、今年は運よく?土曜日だったので、とりあえず直接おめでとうを伝えたいな〜と思って秒で帰ってみました。
と言っても、行き帰りの駅までの送迎はまみちゃんにしてもらうという甘えっぷり。
本当に夕ごはんを一緒に食べるくらいで、しかも、買い出しに行ったら母がお金を出してくれるし、まみちゃんの畑の野菜も使うしで、甘えるにもほどがあるなのですが、作るっていう気持ちだけお届けでした。
親子しかり、友人しかり、つながりは途切れないけど流動性があって。
その時々で距離感が近かったり少しあったりとかあると思うけど、なんかうまく名前はつけられないな〜と思う今日この頃。
そういう間(あわい)を掬いとって、、気負うことなく手を差し伸べたり伸ばされたりできればいいのに〜
まあ、そこを目指しているんですけどね。