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国会議員の秘書16(東京勤務初日)

 昭和63年の9月から東京都千代田区永田町にある第二議員会館の301号室の野中広務事務所に勤務することになった。住まいは、目黒区東山の山手通り沿いのワンルームマンションに寝泊まりする。そちらは、京都の後援者の会社の東京支店として借りられているところで事務所使用になっているので事務机や電話が設置されている。その隙間に布団を敷いて寝ていた。また、机の引き出しに下着などを箪笥代わりにしてしまっていた。バック一つで京都から出てきたので充分なスペースであった。勤務初日には、東京の先輩秘書がどんなところか見にきた。そして、見に来る前に御徒町の多慶屋に寄って私にズボンプレッサーをプレゼントしてくれた。このズボンプレッサーは長持ちしてごく最近まで使っていた。この頃私は、スーツを2着しか持ってなかったので、ズボンプレッサーが重宝し、こんなに便利だったとはこの時まで知らなかった。先輩秘書は、私の住まいを見終わると近くに焼き鳥屋があったので、東京勤務のお祝いということで焼き鳥をご馳走になった。
 私は、東京に来て何を担当するのかというと野中先生の車の運転と自民党本部で開催される政務調査会での部会や東京で行われる全国大会の代理出席が主な仕事だった。この頃、野中先生の車は、ベンツE300の派手な青色の左ハンドルのものだったが、よく故障をした。それを野中先生が住んでいる高輪の議員宿舎の駐車場に停めて朝7時30分に宿舎に行き車を出して宿舎玄関で待機して野中先生が7時40分には、玄関に出てこられる。そうして、自民党本部の部会に出席されるのに、党本部まで送り届ける。急いで党本部の駐車場に車を停めて、7階の会議室に駆け上がる。野中先生が出席している部会以外の開催している部会や調査会の資料を集めてまわり、先生が出席されている部会に再度戻って野中先生が何を発言するのかを見るのである。野中先生は、毎回、部会に出席する度に、地元で聞いてきたことや地方議会で経験したことを踏まえて部会で発言されていた。朝の部会が終わると9時過ぎに事務所に戻り、来客の対応をされる。
 私は、初日からいきなり党本部の事務局の方から洗礼を受けた。野中先生を議員会館の正面玄関で降ろして地下駐車場に車を停めて事務所に入ると先輩秘書が電話に出て謝っていた。
何かクレームの電話かと思い自分の机に座ると電話が終わった先輩秘書から「山田、お前◯◯さんの前を通ったのに、挨拶しなかったのか?今、電話が怒ってかかってきたよ。新人入ったなら礼儀ぐらいきっちり教えておけって、俺が教育できてないって言われたじゃないかよ。今度からしっかり挨拶しておけよ。」と怒られたが、この時、私は、その方がどなたかわからなかったので、誰に挨拶をしたらいいのか困っていた。それを奥の部屋で聞いていた野中先生が秘書のいる事務室に出てきて、「わかった。そしたらこれから党本部に行こうか。山田君、車出してくれ。」と言われて、また、車を地下駐車場に取りに行き、野中先生を乗せて自民党本部に向かった。到着すると車を停めて3階の事務局に2人で上がると野中先生は、選対、婦人局(現女性局)、組織、政調と自分が関係している党本部の事務局の方に一人一人、「今日から京都から東京に連れてきた山田といううちの秘書です。ちょくちょく顔を出すと思いますので、頼みます。」と言って野中先生が私を紹介されると私は、先生の後ろから前に行き名刺を出して「よろしくお願いします。」と言いながら挨拶してまわった。野中先生は、この頃、時間があると合間を見て党本部の事務局に行って空いている椅子に腰掛けて事務局の方とよく話をされていた。事務局の方たちは、まだ当選回数も少なかった野中先生に対しても良く配慮をしてもらった。野中先生もこうして顔を出しては、議員の動きや役所の情報を取られていたのである。
1時間ぐらい党本部の事務局をまわって一通り挨拶を終えると事務所に戻り、先生は、来客対応をされた。朝に部会で発言されたことについて、役所から説明に来られていた。部会で発言することによって役所から議題になっている提出法案の説明に来られるのである。このようにして霞ヶ関との人脈も構築されていたのである。そうこうしているうちに12時前になると、また、党本部で部会や議連が開催されるので出席しに行く。それが終わると14時ぐらいから今度は、団体などの全国大会などがあるので、そちらに出席をしに行かれる。それが終わると議員会館に戻って、また、来客対応をされるのである。東京も分刻みの日程で来客も引っ切りなしに事務所に来られていた。
18時前になると議員会館の正面玄関に車を着けて、野中先生が出てこられるのを待機する。
ここから夜の会合が始まる。まずは、団体などがホテルでされる懇親会に顔出しをして、そこから赤坂にある料亭に行って先生を降ろすと降りる間際に、ふっと野中先生が私に「1時間ぐらい入っているからこれでどこかでメシ食べといて。」と言われて3000円を渡される。また、降ろした料亭では、料亭の駐車番の人がお支度代と言ってポチ袋に1000円とか2000円入ったものを窓越しに渡される。野中先生からもらった3000円は、当時1人で行くような店の食事では、1000円もあれば腹いっぱい食べられるので3000円なんて使うことはない。なので、野中先生が料亭から出て来られて高輪の議員宿舎まで送る車中で「先生、ご馳走様でした。これあまりました。ありがとうございます。」と言って渡そうとすると「いいよ。とっておけ。返さんでいいよ。」と言って毎回同じやりとりをした。結局、私がいただくことになるのだが、毎日、こういうことがあったので、給料はそれほどなかったが、これで当時は、助かった。野中先生を宿舎で降ろして、5階の先生の部屋まで荷物を持ちながら後ろから歩いて、明日の日程が書かれたカードを渡すと、「明日は、そしたら7時40分迎え。」と言われ「わかりました。お疲れ様でした。失礼します。」と言って荷物を玄関に置いて車に戻り、宿舎の地下駐車場に停めると車のトランクから毛叩きを取り出して、車の埃を払って車を綺麗にする。既に、22時過ぎである。そこでようやく私の1日が終わるのであった。これが東京での勤務の始まりであった。

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