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国会議員の秘書(初めての東京)②

 東京に出て来て、初めて挨拶に行ったのが、憧れていた田中角栄先生の秘書をされている方の事務所。私にとっては遠い世界が目の前にあった。第二秘書に連れられて第一議員会館、第二議員会館、参議院議員会館などをまわった。現在、官房長官をされている林芳正先生の御尊父の林義郎先生の事務所や羽田孜先生の事務所で先代からの金庫番をされている秘書の方や小沢一郎先生の筆頭秘書の方など旧木曜クラブや経世会の幹部の事務所に挨拶に行った。
 挨拶に行く各事務所の秘書の方は、私から見るととても年配で雲の上の方ばかりで圧倒されながら「この世界でこの人たちに自分はついていけるのだろうか。」と思いながら第二議員会館の野中事務所の部屋に戻った。すると野中先生が、奥の部屋から「TBRには、行ったか?」と聞かれた。「まだ、行ってません。」と第二秘書が答えると「じゃ、俺といくか。ちょっとTBRに行ってくるから車を表にまわして。」と言われてソファーから立ち上がり事務所をふたりで出た。

 TBRとは、議員会館の裏手にあるビルで、そちらには、大物議員のプライベート事務所がいくつか入っている。野中先生が「TBRに行く」というのは、竹下登先生の事務所に行くということを指しているのであった。
そして、TBRビルに着き右手にある階段を上がると1階は、ガラス貼りになっており、そこのロビーには、ソファーがいくつか設置されていた。そのソファーには、ダブルのスーツを着た髪の毛にポマードをつけた少し怖そうな方などが数人で歓談をしていた。それを横目に見ながらエレベーターで4階に上がって行った。4階フロアの半分ぐらいが竹下登先生の事務所であった。開いている扉のところから野中先生が顔を出して竹下先生の秘書のひとりの名前を出して尋ねると中から出てきた事務所の方が「来客中ですので、野中先生こちらでお待ちいただけますか?」と言われると野中先生は、出てこられた秘書に私を紹介されたので名刺を渡した。すると数人奥から出てこられて名刺交換をし、通された部屋には、その秘書の中でも少し年齢の上の方が、野中先生の正面に座って京都のことなどを話されていた。野中先生もその話について真剣な顔で答えられていた。そうしているうちに来客の対応が済んだのであろうスラっとしたソフトな感じのする秘書の方が私たちのいる部屋の中に入ってこられた。「先生お待たせしました。」と、その方が言われると野中先生が私の方に顔を向けて「これは、京都の事務所に入った山田というのですわ。また、ちょくちょくこちらに出てくると思いますので、いろいろと教えてやってください。頼みます。」と言って私を紹介された。するとその方は、「いやー、どうもどうも、こちらこそよろしくお願いします。お世話になりますね。」と深々とお辞儀をされた。私は、天下の竹下事務所なので秘書は、凄く偉そうにされてるのかと思って構えていたら、おもいっきり腰が低く礼儀正しいので「あれだけ大物の事務所の秘書なのに、全く偉そうなところがない。秘書の鏡みたいな人やな。」と思って感心した。その方と野中先生が歓談をされているのを横に座って背筋を伸ばして緊張しながら聞いていた。その間15分ぐらいだったが、緊張していたので物凄く長く感じた。話が終わると部屋から出てエレベーターホールへと向かった。その方も後ろからついてこられ、エレベーターの扉が開き私たちが乗り込むと、「先生、ありがとうございました。」とエレベーターの扉が閉まるまで深々と頭を下げて見送られた。
私は、その姿勢に驚いて野中先生に「先生、あの方凄いですね。あの方が竹下先生の秘書で1番上の方ですか?」と聞くと「彼の姿勢は凄いやろ。あれだけの事務所なのに、偉ぶらない。低姿勢、喋り方もソフト、依頼ごともきっちり処理をする。竹下事務所は、みんな島根出身の人でな。仕事の分担もきっちり決まっているんや。俺の対応は大体彼がやってくれてな。彼の兄貴は、今年参議院議員で当選してきたけど。兄貴も竹下の地元で秘書をしながら県会議員に出て、そして今回参議院議員になったんや。山田君、君も彼の秘書としての姿勢をよく見て学べよ。」と言われて、私は、「先生はああいうタイプの秘書が好きなんやな。俺もああいう感じの秘書に将来ならないといかんな。」と思いながら深々と頭を下げられている先ほどの姿を頭に思い浮かべていた。竹下登先生の事務所には、金庫番の秘書の方を筆頭に、先ほどの秘書の方を含めて、TBRビルの事務所には、10人ぐらいおられたと思う。
私は、野中先生に言われた通りに、気に入られようと、その日からあの人を見習おうと思い、実際は、気が短く言葉使いも荒いところを抑えて「秘書とは、ソフトに低姿勢であること。人に対しては、年齢の上下関係なく同じスタンスで接すること。」という今から考えても自分は単純であるが、このことを常に頭に入れて人と接することにした。
はじめは、注意していても自分の本性や本音がすぐに出てしまうので見習うにも辛かった。少し時間はかかったけれど徐々にではあるが自分を抑えられるようになっていった。
野中先生が好感を持たれていた竹下登先生の事務所のあの方は、国会議員の秘書の鏡であるとおもう。現在も変わることなく私は、尊敬している秘書のひとりである。

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