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寄る年波

しばらくnoteをお休みしました。
『寄る年波』とタイトルにしましたが、まさにそのままの出来事がありました。


私は、来年5月に70代に突入します。65~74歳は前期高齢者とされていますが、前期であれ後期であれ高齢者という枠組みの中にいる事には間違いないのです。
気持ちは年寄りでは無いと、胸を張って言いたい気も致しますが、心と身体のアンバランスを軽く考えてはいけないようです。

この度は、その事を強く実感する事となりました。
これから記述するのは、私の備忘録的なものです。今は覚えていても、月日が流れると記憶に残っていないと思われますので、書いておこうと思います。


R4.9.18 (日)朝
朝食の支度をする為、キッチンに立つ。突然、脳が大きく膨らんだような感覚と、めまいのような症状に襲われる。少し治まったので、食事の準備にかかろうと思えど、手順、必要なもの、何もわからず、ただオロオロするのみ。そんな状態が1時間ばかり続く。
少し落ちつき、卵を茹でたりいつもの朝食は何とかできたが、いつも使う食器が、食器棚を見ても何が何だかわからない。

ふと、自分の名前、生年月日を思えど、なかなか浮かばない。やっと思い付くが、息子達の生年月日がわからない。最寄りの駅名はわかるが、両隣の駅名も思い出せない。あれもこれもわからない。
脳の中で何が起こったのだろうか。

18、19日は休日で病院は休み。私は意識が飛んだ事が直接の原因だと思うが、突然に認知症になったのだろうか。脳の異常だろうか。怖くて動悸が止まらなかった。


休み明けに病院に行き、脳神経外科にかかりMRIと血液検査を受けた。この病院は歩き慣れた道にあるのに、病院の前を通り過ぎて別の場所に向かい、通りがかりの人に道を尋ねてしまった事もショックだった。

検査結果は今回調べた範囲では、認知症も脳も問題無し。釈然としないけれど、問題無しを喜ぶべきだと思い直した。が、やはり記憶は曖昧なまま。不安は残る。

気持ちを楽にするように心がける事、しばらく様子をみましょうと医師に言われた。確かに気落ちしたままでは、良い事はない。


相変わらず今現在、記憶は不安定。そんな自分と上手く付き合わないと。マダラボケというものなのかな。同じ言葉(名詞)でも、その時によって、思い出したり出さなかったり。
こうやって、記憶だけでなく、出来ない事も少しずつ増えていくのだろう。今回の事は、これからその門を潜るためのセレモニーだったのかもしれない。

これからも、小説もどきを書けるのだろうか。
すぐに答えが出ても出なくても、何らかの形が見えれば良いと、今は思っているのですが。

折角、書く事、読んで頂く事が楽しくなったのに。私がnoteに最初の記事を書いたのは昨年の11月2日。もう一年になると思えば感慨深い。

現在、寄る年波の大きな波に呑まれてしまいそうですが、上手に波を乗り越えていきたいと思います。

誰であれ、自分の老化の波と向き合う日が訪れるのでしょうけれど、私の場合はこんな具合でありました。


🏥

追記
時間がかかりましたが、なんとか書き終えました。
おかしな記述があるかもしれません。
お読みくださってありがとうございます。
これからも、どうぞよろしく。 めい