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シャンプー(ショートストーリー)

月曜日の夜、一人の浴室。
今日はお休みなのね。律儀な彼。少し寂しいわ。

隣の住人、絵里さんが言っていた。この部屋の前の住人は生前美容師だったって。
それも、なかなかの美男子だったそう。そして腕も確かだったって。仕事熱心な人だったみたいね。
月曜日は、今でも彼にとっては休日なのよ。
だから今日は自分でシャンプーしたけど物足りなかった。

そんな彼は、私がこの部屋に越して来た日から、夜な夜な私の入浴タイムに当たり前のように現れる。当然と言えば当然なのだと、私、納得しているのよ。勿論怖くなんかないわ。姿が見えるわけではないし。話しかけてくる事もない。
ただ彼はシャンプーをしてくれるだけ。

ほら、思い出してごらんなさい、子どもの頃。大人の人に頭を洗ってもらったでしょ。あんな風に、優しく頭を洗ってくれるのよ。
至福と言っていいほど気持ちが良いの。嫌なことも一緒に洗い流してくれている気もするわ。さすが美容師よね。シャンプー上手。
こんなに熱心というか、美容師である事に思いを残しているのだから、ヘアカラー、カット、パーマなどの技術も使いたいのではないかしらね。そんな風に思うようになったの、私。

私、隣の絵里さんに彼のことを話したの。
彼女、とても興味ありげに聞いてくれた。馬鹿にされるんじゃないかと思ったけど、熱心に聞いてくれて何度もうなずいてくれた。
それに、実は彼が好きだったって。そうじゃないかと思ってたけど、やっぱりだった。

彼女、うちで入浴したいって申し出たわ。多分そうなると思ったの。彼女も彼にシャンプーしてもらいたいはずだもの、彼の事好きだったのだから。
彼女に打ち明けるのじゃなかった。え?これ嫉妬?まさかね。
もちろん、OKしたわよ。断る理由は無いもの。

絵里さんがうちの浴室を使ったからかしら、その日から彼が現れなくなったの。
もう彼は、この世での美容師としての自分に思い残すことが無くなったのかもしれない。それなら残念だけど、彼の成仏を喜んであげなきゃ。

それからさらに数日後、仕事から帰ると隣の絵里さんの部屋に、KEEP  OUT のテープが張られていた。
驚いて立ち止まった私に、刑事さんと思しき人が私に声をかけた。
「隣に住んでおられる方ですか?」
「はい、あの、何があったのですか?」

「隣人の橘絵里さんが、浴室で亡くなっていまして。何か聞いておられませんか」
私は戦慄が走ったけれど冷静だった。
「個人的な事は知りません」
「そうですか、彼女は美容師でしたか?」
「いいえ、会社にお勤めと聞いています」
「そうですか、いやね、浴室のシャンプーやヘアカラー、ハサミもね、美容室仕様のものでしたから」

彼女も私と同じ事を考えたのだ。彼女は実行したのだ。ウチで入浴した後、彼を連れ帰ったのだ。きっと。その事が絵里さんの命を縮めたに違いない。

昨夜いったい何があったのだろう。
シザーで胸を一突き、だったそうだ。

事故なのか、自殺なのか、事件なのか解明できないまま。絵里さんは胸に刺さったシザーを手にしたま、倒れていたそうだけど、何を意味するのか。

月曜日、浴室に入り、シャワーを浴びている時、気配が、彼?
何か、声がしたように感じたが、シャワーの音がかき消したのか。
シャワーを止めた。振り向くと、大きなシャボン玉がひとつ。ユラユラと何か語りかけるように揺れていた。彼だと思った。私は手を合わせた。
そして、
「今までありがとう」と伝えた。シャボン玉は左右に揺れた。

私はシャボン玉が割れるまで、見守っていようと思った。
シャボン玉がどんどん大きくなっていく。
近づいて来る……、気のせいよね。

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#シャンプー