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手毬(てまり) シロクマ文芸部

花火と手渡されたのは手毬。
広島の祖母が会いに来てくれることになり、私に欲しいものを訊いてくれ、忘れずに土産として私に渡してくれたのだ。

願ったものは手毬。花火はオマケのようなものだったのか。線香花火が10束ほどあった。これはこれで私たちを喜ばせた。

昭和30年代は、女の子の玩具としてお人形、ままごと道具、手毬は必須アイテム的なものだった。
前に持っていた手毬を失くしてしまった私。
母は大事にしなかったからだと、新しい手毬を直ぐには買ってくれなかったのだ。

外で遊ぶときは手毬をついて遊ぶことが多かった。だから祖母に新しい手毬をもらった時、とても嬉しかった。
思えば当時の玩具類の色は少し毒々しい色だった気がする。どんな模様であったかは覚えていないが全体的に赤い毬であったと思う。

『あんたがたどこさ』や地域だけで歌われる手毬唄もいくつかあった。一通り歌って毬をつかなければ、毬つき遊びは終わらない。その時間は一人でブランコを漕いだ。


あの頃は車がほとんど通らなかったのでいろんな場所で遊んだ。時には男の子がメンコやビー玉で遊んでいるのを横目に見ながら外遊びを楽しんだ。縄跳び、大縄飛び、ケンケンパ等々。
男の子と一緒に遊んだのは鬼ごっこくらいだったろうか。まだあったような気もするするが。

今の子供たちが外で遊んでいるのを見ることは無い。あの頃の遊びを経験できないのは可哀そうだと思うけれど、私には意味不明のゲームや遊びを彼らは楽しんでいるのだろう。


でも、あの時代の私たちは幸せだったと思えるのも、幸せなんだと思うこの頃です。
懐かしい顔が浮かんできます。
みんな元気で楽しく暮らしていると良いな。
もし今、手毬が目の前にあったら、あの頃のように上手くつけるかな。無理かもしれません。結構上手だったのですよ。


了 743文字


小牧幸助部長の今週の企画 「花火と手」で始まる短いエッセイを書いてみました。懐かしい思い出。10歳頃の話です。


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