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うろ(樹洞) ショートストーリー 836文字

私が幼い頃から通い慣れた道に、大きな木がそびえている。何の木か知らないままに、私は老人になってしまった。木にとっては60年、70年はあっと言う間であったのだろう。

私はこの大木が幼い頃からずっと好きだった。悲しい時、悔しい時、寂しい時、そう、いつだって木は私の内にも外にも寄り添ってくれたのだ。
木登りができなくなって久しいが、木の温もりは、私の幼い頃と変わりないように思える。

この木には私の目と同じくらいの高さに、赤児の頭ほどのウロがある。大きめのお椀が半分だけ木にくっついているようだ。木の中に続く狭い穴は深いのだろうか。

生き物や、珍しい物がないかと子どもの頃から時々覗いていた。木への挨拶の様なものだったのかもしれない。

できれば、宝物とかリスなんかに会いたかった。いつだったか小さめのトカゲ2匹に遭遇して仰け反った事があったが今となっては懐かしい。
 
最近、このウロの変化に気づいた。ウロが日に日に広がり始めているのだ。

猫1匹くらいなら飲みこめそうに思えた。私には、まだファンタジックな部分が残っていたのか、不思議の国を訪れたアリスが、いきなり私の中に姿を見せた。

私はこのウロの中に入れるような気がしたのだ。自分が高齢者なのは頭に無かった。
つま先立ちをして穴を覗く。頭から入れるのか、吸い込まれるのではないかと、もぞもぞしながらウロの中を覗いた。どこかに繋がる新たな穴があるか確かめようとしたのだ。
70が近いお婆さんのやる事とは思えない。突然我に返る。

辺りを見回す。誰にも見られていないようでホッとした。
自分ながら変だと思う。認知症のハシリだろうか。思わず出た大きなため息。

私は、トボトボと家に向かい歩き始めた。ずしっと肩にも腰にも重いものがぶら下がっている気分。

木が風もないのに葉を鳴らし始めた。クスクスと笑っているように聞こえる。
私は立ち止まり振り返る。

『またね』
木は、そう言っているのだと思う事にした。

「またね」
私も、そう返したのだった。


なんでもない、ただの昼下り。



これは実話ではありません。念のため😄



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