マガジンのカバー画像

シロクマ文芸部

88
小牧幸助さんの企画に参加させていただいています。毎週木曜日にお題(書き出しの言葉指定)が発表されます。 参加資格は、一人以上の方にコメントをする事です。
運営しているクリエイター

#ショートエッセイ

金の指輪 シロクマ文芸部 653文字

金色に広がる世界はどこかにあるのだろうか。 あれば是非見てみたい。 そして、その一部を切り取って、金の指輪にしてみたい。 そんなことを考えていて、気づいた。そこは現在両親がいる場所なのではないかと。そうであれば罰当たりだよね。 神様、ごめんなさい。 幼い頃、母の指に光る金の指輪が欲しかった。 時々借りて自分の指に指輪をはめる。 ブカブカだけど、ドキドキとウットリを同時に感じた。 母の返事は承知で、いつも母にねだった。 「これ、欲しい」と。返事はいつも同じ。 「結婚する時、

レモン シロクマ文芸部

レモンから漂う爽やかな香りを思い出してみる。 もう何年もレモンを手にしたことは無い。手軽な濃縮還元レモン果汁を使っているから。 ファーストキスはレモンの香り、初恋はレモンの味、そんな風に言われていた少女の頃。本当なのか。その答えを知るのはまだまだ先の事だった。 幼い頃、レモンが果物屋さんで売られていたか記憶に無い。ひどくオシャレなイメージがあった。レモンというものを初めて意識したのは、外国のお話だったような気がする。 外国の児童書と出会ったのは、10歳くらいの頃。 「小

手毬(てまり) シロクマ文芸部

花火と手渡されたのは手毬。 広島の祖母が会いに来てくれることになり、私に欲しいものを訊いてくれ、忘れずに土産として私に渡してくれたのだ。 願ったものは手毬。花火はオマケのようなものだったのか。線香花火が10束ほどあった。これはこれで私たちを喜ばせた。 昭和30年代は、女の子の玩具としてお人形、ままごと道具、手毬は必須アイテム的なものだった。 前に持っていた手毬を失くしてしまった私。 母は大事にしなかったからだと、新しい手毬を直ぐには買ってくれなかったのだ。 外で遊ぶとき

ありがとう シロクマ文芸部

ありがとうの花言葉があるピンクのガーベラを買ってきた。 母が好きな花だった。 ガーベラを見ると思い出すのは母。 コップに一輪挿して、母としていたみたいに会話をする。 一人二役を演じたり、一方的に話しかけたり。 すると本当に母と会話をしている気分になる。 母が聞いてくれている気分になる。 写真を前にすると悲しみだけが甦るので、ガーベラに話しかける。 私が子供の時の思い出だとか、父の事、これからの事、献立の事、色々だ。 結局、自分の心の整理をしている私なのだろう。 「いつまで

りんご箱(シロクマ文芸部)

りんご箱、遠い遠い思い出の中にあります。 父が戦時中、所属する部隊などで友人になった方の中に青森県の方がおられました。その方が私が3歳くらいの時、りんごを送って下さったことがあります。1950年代のとても古い話です。 りんごは木箱で送られてきました。でもそれは最寄り駅まで受け取りに行かなければなりませんでした。当時の配達の仕組みがどうであったか覚えていませんが、少なくとも駅で受け取れば、重いものでも料金は安かったのでしょう。 どこぞで小型のリヤカーを借り、駅へ向かいます。

月めくり、日めくり(シロクマ文芸部)

月めくり、と言ったら思い出すのは日めくり。 今では日めくりを愛用しておられるお宅は少なくなっていると思われます。 私の幼い頃は(昭和30年代)たいていのお宅では日めくりを使っていました。毎日一枚ずつめくり取っていく暦です。 我が家では、朝のその役目は私の担当でした。勝手に決めていたようですが。 ただ、一枚ずつと言う約束を忘れ、一度で何枚もはぎ取って叱られたことも。それを元に戻すべく、母はご飯粒をつぶして糊としてくっ付けてくれた事、懐かしい思い出です。 しばらくすると戦後の好