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大学四年生終盤に向けて

…終わった。大学生活の全ての授業及び卒論全てが今日で終わったのだ。コロナ禍でのオンライン授業だったため、ミュート、顔出し無しでの授業だった。なんだか呆気なかった。私の大好きな先生だっただけに、一言お礼くらい言いたかったのに、『テストをしますので、あとは個人個人でzoomから抜けてください。お疲れ様でした。』との事だった。家でテストを受けて、終わったらパソコンを閉じ、ソファーに寝っ転がった途端に睡魔に襲われ、小一時間くらい昼寝をしていた。

やっぱり対面授業が良かったな…。寝起きで玄関を飛び出し、犬の散歩に出かけた時、ふと思った。その先生のダイナミックな授業を思い出して懐かしく感じた。もう受けられないのかと思うと日に日に寂しさが増してくる。まぁ、それくらい素敵な先生だったということである。なんだかんだ、その先生には3年間お世話になった。


未だに3月の卒業式の袴すら決めていないが、その時に手紙でも渡してお礼でも言おうと思った。その先生に出会っていなければ、間違いなく私の大学生活は充実していなかっただろうと思う。厳しくもあり、やる気のある生徒にはとことん向き合ってくださる先生だった。ここまで熱血な先生はなかなかいないと思う。授業の質は指導者で決まるとは、まさにその通りである。楽な授業を選んで楽に単位を取るのもいいかもしれないが、何かしら物足りなさを感じてしまう。その先生の授業を受けた後に他の先生の授業を受けると尚更そう感じてしまうのだった。

自分の性格上、尊敬できる人を見つけると、とことんついて行こうと思ってしまう。その先生に出会って最高で週4コマもの授業をとったこともあった。日に日に自分の実力が伸びているのを感じていてとても嬉しかった。自信もついた。

驚くなかれ、その先生はアメリカ人で、日本語はほぼ話せない。しかし、彼の授業に対する情熱はひしひしと伝わっていた。2回生の頃は、彼の授業を受けるのが多少怖かったが、次第に1番前に座って授業を受けるほど聞き入るようになって、今では受けられないのが寂しいとすら思えている。

遅れた課題を提出するために、ドキドキしながら彼のオフィスのドアをノックしていたこともあった。当時英語が全く話せない私にも、容赦なく英語でのマシンガントークを浴びせてくる彼に、必死にしがみついていくように話す練習をしていた。オフィスに用事がある時は、言う内容を英語で考えて、台詞が飛ばないように覚えたこともあった。今考えると我ながら笑えてくる話ではあるが、どれをとっても懐かしく、自分の軌跡を辿ることができる。

少なからず彼の隠れファンも多く、授業を好んで選ぶ生徒もいた。紛れもなく、私もそのうちの1人だった。彼のように、尊敬の眼差しで、慕ってもらえるような人になりたいと心に誓った。


(2022/2/8)


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