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私のトンデモ海外旅行記

私は結構、若い頃は海外旅行を楽しんでいた。
初めての海外旅行はギリシャ。
白い建物に真っ青な海の写真を見て、行ってみたいと思った。

まだ10代だった私は貧乏だった。
ギリシャに行くには当時、シンガポール経由とモスクワ経由があった。
貧乏な私は激安のモスクワ経由で当時はソビエト連邦の悪名高いアエロフロートと言う航空会社の飛行機で成田を飛びたった。
離陸した瞬間、「ボン!」
と大きな音がした。
なんと、尾翼が折れて飛んでいったのだ!
当然、成田に引き返すのだろうと思ったらそのまま飛んでしまった。
機内で、私はガクガクブルブルだった。
生きた心地のしないままモスクワ空港到着。
しかし、まだ試練はあった。
当時、東西冷戦時代だったので、西側通路と東側通路に別れており、西側通路からは東側が一切見えないようになっていた。
西側通路には機関銃を持った兵士が銃口をこちらに向けて立っている。
妙な動きをしたら、たちまち蜂の巣だ。
まぁ、ハッキリ言って尾翼が飛んだ飛行機に乗るよりはこちらのほうが怖くなかった。


ギリシャに着いたらまずお決まりのパルテノン神殿見学。
それから船に乗り、待望のミコノス島に着いた。
凄い!!青と白しかない世界だ!
なんて綺麗な景色だ。
私は感動した。


しかしギリシャ語なんて、サッパリわからない
omega、βの世界だからね。
英語だってたいして話せないのにギリシャ語なんて意味不明。
しかし若い事もあり次第に耳慣れし、大体何を言っているかはカンでわかるようにはなった。
現地のお年寄りは英語もできる様だ。
海岸を歩いていると、漁師のお爺さんがいたので拙い英語で話しかける。
「お爺さん、今日の漁は大漁かい?」
お爺さんが「おや、こんな所にアジア人とは珍しい。チャイナか?」
私が「いえ、ジャパニーズ」
軽い世間話をしていたら、お爺さんが面白い話しをしだした。
第二次世界大戦中、海岸で漁の後の作業をしているとイタリア軍が来たと警報が鳴る。
でも皆、そのまま作業をしていたと言う。
何故ならばイタリア軍は沖のほうに適当に爆弾をボトボ落として、サーッと去って行くのだそうだ。
逆にドイツ軍が来ると、皆逃げるそう。
何故ならば、ドイツ軍は正確に爆弾を落としていくからだそうだ。
なんとも国民性が出ている面白い話しだった。

次の海外旅行はグアム。
いきなり近場だけど、前回ヨーロッパだったから長旅に疲れた結果だ。
グアムではスキューバダイビングのライセンスを取った。
グアムで良かったのは横井ルートを歩いた事だ。
あの「恥ずかしながら…」
の横井さんだ。
結構険しい道のりだった。
ジャングルの中を歩く。途中小さな滝があったり
岩があったり。
こんな所を横井さんは彷徨い歩いていたのかと関心した。


それからはスキューバダイビングにはまり、グレートバリアリーフ、カンクン、セブ、ニューカレドニア、タヒチ、等を潜って回った。
しかし一番記憶に残る美しい海はフィリピンのエルニドだ。
エメラルドグリーンに輝く海。そしてコバルトブルーが混ざる。
この世の物とは思えない美しさだった。
エルニドには当時、電気が通ってなかった。
朝日とともに目覚め、海岸沿いのレストランで朝食をとる。
すると、朝食の半分をカニクイザルに取られてしまう。
それもまた楽しい思い出だ。



次に思い出深いのはボルネオのジャングルだ。
最初は舟で川を上流に登って行く。
生い茂る気をテングザル達が鳴きながら群れでびゅんびゅん綱渡りをしている。

目をよそに向けると大きな人間?いや、オラウータンだ。
仕草が人間みたいだ。
そのオラウータンは子供を抱いていた。
葉と枝を紡いだ様な物をハンモックにしてユラユラ揺れていた。
森の住人に相応しい。

と、舟での旅は楽しいものだが今度は陸路になる。
この陸路が壮絶だった。
ジャングルの森を歩いていると、上から山ヒルがドバっと落ちてくる。
気色悪い。
そして、鼻をつく生ゴミの様な強烈な匂い。
世界一巨大な花、ラフレシアが咲いている。
なんだか赤黒い。
あまり綺麗な物ではなかった。


と、まぁこの他にもハワイだのアメリカだの行ったけど、ここまで変わった旅はないので割愛しとく。



もう、海外は満足したな。
余生はゆっくり日本国内を回りたいものだ。





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